義経一騎は、掘りの外に馬を立たせたまま、なおそこに、じっとしていた。 「およそは、まもなくすもう」 と見ていたのである。 ここ、桜間の一攻めなどは、ほんの道草でしかない。 心せかれる行く手は屋島だ。 一刻
も、片刻かたとき たりとも、時こそ、貴重に費つか
わねばならない。 その讃岐の屋島までは、およそ、ここから十五、六里はあろう。山坂も多いという。 いかに急いだところで、今日のうちに行き着けるはずはなかった。夜来やらい
の大風浪を海上に凌しの いで来て、馬も弱まり、人の疲れもはなはだしい。といって、時を費やせば、事が、先へ屋島へ漏れる危険は多分にある。 「やあ、ここにおいででしたか」 六、七騎。 堀際の北の道から、これへ駆けなだれて来た、田代冠者たしろのかじゃ
信綱のぶつな たち一群が、 「敵のあらましは、撃ち退の
けましたが、桜間さくらま ノ介能遠すけよしとお
の死骸しがい だけが見当たりませぬ。火中に身を投とう
じたらしい姿を見た者もなし、必定、逃げ落ちたかと思われまする。・・・・残念なとは、存じますが」 と、口々に嘆じた。 それには、義経も、はっと、 「あな、惜し、桜間ノ介を逃がせしか」 と、眸を空へやって、ふと、焦躁しょうそう
の色を見せた。 「── 追ったか、すぐ、逃げ道を」 「されば、われらも、その姿を、あちこちに、駆け求めましたが、いずこへ失う
せしものやら」 「見出せぬのか」 「いかがいたします、なお、追わせたものか、追わぬものか」 「追えば、手勢を分けねばならぬ。追わねば、桜間ノ介が、先を越して、屋島へ急を告げる惧おそ
れなあろう。はて、どうしたものか」 つぶやいたが、しかし義経の眉は、 「ぜひもない」 と、すぐ迷いを捨てて、 「屋島へのみ、ただ、屋島へのみ、ひたむきぞ。同勢一つに、先を急ごう。──
ここは、ただちに引き揚げよ。あとの始末、残る小者の敵などへ、懸け構いすな」 彼の命令が、丘へ伝えられると、まだ、燃えぬいている桜間の舘もよそに、武者たちはみな、馬寄せ場へ引っ返し、そしてまた、義経のあとについて、息つく間もなく、駆けつづけた。 義経は、自分の駒の直ぐ前に、降将の近藤六を、駆けさせたいた。道案内のためである。 「少しも早く、讃岐街道まで導みちび
け」 と、案内の近藤六を、後ろから追いたてた。 それもまた、逃げ落ちた桜間ノ介を牽制けんせい
する一つの手段として、考えられたからだった。 が、そうして走り走り、義経は、左右の味方を見て、時には、おかしそうに言ったことでもある。 「かくては、朝飯を食う暇ひま
だにないぞ。敵に敗れぬ面々も、腹の虫には、兜かぶと
を脱ぬ がぬものでもない。──
讃岐路へ出るまで、しばし怺こら
えよと、腹の虫を宥なだ めおけよ、おのおの」 こういう冗談も、肉体の辛さを忘れさせ、ふと士気を愉しませた。列の先頭から後ろへ、どっと、笑いが波になって行った。 井上いのべ
から吉野川を渡って、祖母ヶ島の河原へ立ち、すこし駒を休めて進むと、ほどなく讃岐街道に出た。 すると、はや、山せまる板野郷ごう
一帯の峰々をひかえ、そこの麓ふもと
の追分の辻に、一かたまりの人馬が見えた。 「や。あの武者は」 近藤六はあわてて駒を抑えた。 「敵か」 義経も、先を、見まもる。 そのとき、列の中から、深栖ふかすの
陵助りょうのすけ が、進み出て、 「味方の者です、お案じには及びませぬ」 と、どなった。 「なに。味方・・・・?」 それは、たれの口からももれた、いぶかしい気であった。──
こんな所に、どうして、という怪しみなのだ。 けれど。 かなたの一群は、義経の軍たることを見きわめると、どこからか、白の小旗を取り出して、しきりにそれを振り抜いている。 「・・・・・さては、淡路の組か」 義経には、思い当たったようである。その微笑を、かなたの者どもへの答えとしながら、そのままゆるやかに馬を近づけて行った。
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