この朝まだき、桜間
ノ介すけ の舘では、まだ何も知らなかった、というよりも、多くの妻戸つまど
や蔀しとみ は戸閉とざ
されたままで、夜来やらい の落花を載の
せた靄もや の中の大屋根はまだ
“── 春眠シュンミン 、暁アカツキ
ヲ覚エズ” の姿であった。 郷さと
では、桜間の城とここをいっているが、後の城郭様式のそれとはちがう。── 桜の多い小丘に、掘、柵さく
などを繞めぐ らしてあるだけの、ただの豪族の住居にすぎない。 それでも、広い柵の内には、幾棟いくむね
ともしれぬ土倉とか長屋壁なども望まれて、なおこの辺の土豪生活には、古い大家族制の余風ともいえる形があきらかにうかがわれる。 そして、それらの下部しもべ
長屋ながや には、いつもの朝と変わりない炊煙すいえん
が立ちこめてい、牛馬を引き出す雑人ぞうにん
たちだの、早起きな子どもや鶏の影も、ちょろちょろ見えた。 ── すると何か、時ならぬ鳥群ちょうぐん
の羽音が空に聞こえた。遠くの沼地から舞い上がったものらしい。それは幾組もつづき、黒い粉みたいに乱れて、満天に分かれた。 「・・・・・あれ、なんであろう、怪態けたい
な?」 乳ち のみ子に、乳を含ませたままの下臈げろう
の女房が、釜屋かまや の軒先へ出て、ぼんやり、空を仰いでいた。 突然、こんどは野犬やけん
の声が一せいにした。それも丘の下よりはるかに思われたが、まずここの鶏が騒ぎ出した。鶏がそれを人間の長屋へ教えるかのようであった。 「出てみなされ、みなの衆。ただ事ではないぞえ」 下臈の妻も、鶏と一しょに叫んだ。 屋内の男どもも、さっきから
「何か、変だが?」 とは感じていたらしい。それっと、あちこちの荒壁の中から飛び出して来、丘の端まで、駈け乱れて行った。 が、そこまでも行かないうちに二、三の者が、続けさまにぶったおれ、頭越しにも地上にも、無数の矢唸やうな
りが、翼を持った生き物みたいにどこからか飛んで来た。 「や、や。これは」 「どうした敵か?」 桃源とうげん
のようなここの平和も、一瞬の間に修羅しゅら
となった。彼らの仰天と女子どもの悲鳴は、まだ眠っていたかなたの大屋根の下をも驚かしたに違いない。にわかに、寝殿しんでん
やら対たい ノ屋や
の戸があわただしげに開けられていた。しかしそこらの蔀しとみ
や雨戸へも、見るまに、無数の矢が突き刺さった。 |