馬馴らし
── と聞いて、われもわれもと、義盛につづいて行った。しかし、強烈な戦意を抱く敵勢ではなかったらしい。喚
きも、矢うなりも、揚がらず、やがて三郎義盛が、敵将らしい四十がらみに男を囲んで、引き揚げて来た。 「いかにせしぞ、三郎」 馬上で待ちかまえていた義経の前に、敵の男は、降人こうじん
の礼をとって、ひざまずいた。 義盛は、その男の背後に立って、 「あれなる岬の見張り小屋の兵が、今暁、われらの船影を見、驚いて、急をこれなる近藤六の館へ報らせましたので、何事か?
と駆けつけて来たに過ぎず、お手抗てむか
いの心はないと、誓いおりまする」 と、降将に代わって述べた。 義経は、眸を、その男の顔へ移して、 「平家方の、近藤六と申すか」 「はっ」 と、男は、蟹かに
のように、両ひじを張って、ひたいを、さらに地へつけた。 「── 当国、板野郷いたのごう
の西に住む、近藤六郎親家ろ申す者にございまする」 「当所、名東郡の井上郷いのべごう
には、花園城はなぞのじょう とて、平家の公達、越前三位えちぜんのさんみ
通盛卿みちもりきょう の所領があったはず。──
先年、鵯越えの合戦のさい、義経の手勢に潰つい
え給うて、討死をとげられたが、なお、その家臣たる残党どもは、この附近におるであろうが」 「いやいや、今はそれらの衆も、ことごとく、当所にはおりませぬ」 「いずこへ、散り失せしや」 「屋島へ召されたり、あるいは、河野四郎を攻ぬるため、田口たぐち
左衛門教能さえもんのりよし の軍について」 「では、花園城の者ども、みな、伊予攻めに、狩り集められて征い
ったか」 「は。御意の通りでおざる」 「ほかには」 「さあ?」 「いまは明あか
らさまに告げん。われは判官義経ほうがんよしつね
。阿波より讃岐さぬき の国境を駈け通って、屋島を襲わんとする一陣にてあるじお。──
もし、その途中に立ちふさがって、平家のため、われらに撃って懸からんとする平家勢のありとせば、それはたれとたれか」 「おそらく、君に後うし
ろ矢や を射て来るほどな、平家勢は現れますまい。しいて申すならば、これより西へ二里、桜間さくらま
の城には、阿波民部が弟、桜間さくらま
ノ介能遠すけよしとお の一族がおりますゆえ、あるいはとも、存ぜられますが」 「籠こも
りおる人数は、どれほど」 「百騎にも足りませぬ」 「なぜ、さように少ないのか」 「先に申上げた通りです。ひでりの稲を刈るように、兵はみな伊予へ移して行きましたので」 「そうか。・・・・して、ここの地名は?」 「日峰ひのみね
のふもとで、勝浦かつうら と称とな
えておりまする」 「勝浦」 ふと、義経は、耳寄りなと、いいたげな顔をしたが、すぐ笑い出した。 「── さても、この田舎武者が、式代しきだい
(色よい挨拶、世辞などの意味) を申しおるよ」 「いえ、いえ、なかなか」 と、近藤六は、どす赤い顔を、よけい赤くしながら、あわてて、その顔の前で、手を振った。 「──
土地ところ のなまりでは、下臈げろう
ことばに、かつらとは申しますものの、文字にてはまさしく、勝浦と書きまする」 「そうか、一定いちじょう
、勝浦とはおもしろい。── 聞かれたか、殿輩とのばら
」 と、義経は、見方の上をながめて、 「夜来やらい
の幸運なりしのみか、けさ、着いたる磯は、日峰の下、勝浦と聞いたぞ。── 今し、屋島へ馳は
せんとするわれらが、勝浦に着いたることのめでたさよ。軍いくさ
は勝つの吉兆ぞ。勝つぞ、われらは」 と、大声に言うと、軍勢の中から、なんとはなしに、わっという気が立った。 「腹も空す
きつろうが、朝の糧かて は、ひと働きしてから食おう。これより西へわずか二里、桜間ノ介の小館こやかた
があると申す。蹴散けち らせ、人びと」 武者どよめきも消えないうちに、義経はなお、いいつづけた。そして、自身の駒を前へ進め、すぐ先頭を切って駆け出した。
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