〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十二) ──
や し ま の 巻 き

2014/02/12 (水) 死 中 ・ こつ けい あ り (三)

「おう、あざ らかな」」
「日が昇りかけた。東のきわ みに」
船上に立ち並んだ武者「の群は、まぶしげに、眼を細めあった。
人びとの姿からも、さんらんと、光が立った。
「旗を立てよ、のぼり も高くなびかせよ。── 遅れた船も、やがて、それを目当てに集まろうに」
義経は、後ろに見える船影を数えていた。
帆柱をヘシ折られた船、潮除けの囲いを吹き破られた船、どれもこれも、無事なのはばい。
気がついてみれば、彼自身の船も、船櫓ふなやぐら の影は せて、舵座かじざ は砕かれ、わずかにかじ を入れて、からくも、漂って来たことが分かる。
「船頭、あれは阿波国の、どの辺りか」
みよし へ、戻りながら、義経は、みよし の真向うに見える陸影をさして、そこにいる熊野水夫かこし の一人へたずねた。
「さあ? 阿波の何地いずち になりましょうか?」
「おこと らでも、知らぬのか」
烏羽玉うばたま の荒海を、しかも、明け方ぢかくまでは、無我夢中でございましたので」
「むりもない」
と、微笑しながら ──
「後ろに続く船影は、おおむね数がそろうたか」
と、とも の一群を振り向いていった。たえず、それのみが、なお彼の気がかりの一つらしい。
御安堵ごあんど なされませ」
と、かなたから弁慶の声で、
「ここの御船を加えて五艘、ほかに鵜殿が手下の馬船、荷船二十艘、ことごとく、後ろに見えてまいりました」
「ありがたや、つつがないか。みな、無事にこれへ着いていたか」
燿々ようよう と、朝の陽に燃える大波のうねりの中に、船はみな帆に代えて、両舷りょうげん から百足むかで のような櫓脚ろあし を伸ばしていた。そして、今朝の感激を、船から船へ 「おうウいっ」 「おうーい」 と、声にこめて、呼び交わした。
船列が、ふちころ深い湾内へ進み入ると、波も小きざみになり、急に、他国の山野の、ひそとした未知の地上が、眼の前にひら けつつ迫っていた。
「まず、馬どもをいたわ り降ろせ。── 浅瀬なりとて、馬のあし 立ちよく見てひけよ。見えぬ磁石に馬のひづめ を怪我さすな」
岸近くなるやいな、われがちになりやすい船や人の気負いを察して、義経はしきりにこなたで叫んだ。
そこは、東へ突き出している岬のすそであった。馬匹、食料、武具のすべてを下ろして、人びとはよそお いを締め直した。また、乗り捨てた船数は、隼人助の手に預け、「── 鳴門をこえて、瀬戸内へ ぎまわせ。志度しど の辺りに再会せん」 と、いいつけた。
ところへ、上陸直後、附近へ放った物見の兵が、
「小勢なれど、一陣の敵が、紅旗をひるがえし、かなたよりこれへ寄せて来ます」
と、西を指して、告げた。
「およそは、さもあらんずること」
と義経は、あわてる容子もない。伊勢三郎義盛にむかって、
「馬にはよい脚試あしだめ しぞ。五十騎ほど連れて、一当ひとあ て当ててみよ。── なるべくは、頭立かしらだ ちたる男一名、手づかみにし、生捕いけど って来い。道案内に用いてくれよう」
と、言った。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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