〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十二) ──
や し ま の 巻 き

2014/02/07 (金) 非 奇 蹟 (三)

「小勢こそよけれ」
とは、初めからの主旨ではあった。けれど、この急場に間に合う船数とその積載量では、百五十騎以上の編成は、しょせん、無理だったのである。
その代わりに、歩卒は除き、騎兵だけの精鋭とした。いわゆる、鉄騎隊である。
そして大将、部将、武者たちは、五艘の大船に乗り分かれた。ふつう、兵船と称さるものの容積は、一艘三、四十人どまりにすぎない。── 平家方には、その数倍も乗せうる唐船型からふねがた の戦艦もあるが、源氏の水軍にはなかった。
しかも当夜は、荒海のことである。重量の無理は避け、三十人ほどずつ、五艘の船に乗り分かれたのである。べつに、馬匹は、馬船二十余艘、船隊を組んで続くことになった。
馬の輸送には、鵜殿党が、その任に当たった。荒海の怒涛どとう をかぶると、馬は恐怖の余り体力もスリへらし、上陸後、すぐ合戦となる場合は、物の役には立たないので、船その物を、うまや ごしら えにし、板で囲い、寝ワラの上に人間とともに寝て、馬の不安をかろくしたやるのである。鵜殿党の手下は、そんなことにも、馴れきっていた。
「── 人びと、用意はよいか。舵座かじざ の者はかじざ に就け。帆綱の者は、帆支度せよ。次第よくば、ともづな を解こうぞ」
一艘のみよし の上で、義経が叫んだ。
が、その声も、烈風に吹きちぎられて、一語一語、口のそばから風の果てへ飛ばされて行く。
「── 殿っ。もいちど、しつ こく、おすがり申しまする。何とぞ、この余一宗高をも、おともな いくださいませ。御一陣の端に、おん供の儀、おゆるしのほどを」
その義経の足もとに、ふれ伏して、さっきから、訴えている武者があった。
彼の声も、風に持ってゆかれて、しぐまえのすぐ前の人の耳にすら届かないようだった。
が、その那須与一宗高は、何度も、おなじ叫びを、くり返していた。今ばかりではない。昼、義経の出勢と聞くやいな、余一は、すぐその帷幕へ出向いて、懇願していたのである。
彼のほかに、もう一名、やや離れた所に、平伏している武者も見える。── 弟の大八郎であった。兄弟、姿を並べているのだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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