〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-\』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十二) ──
や し ま の 巻 き

2014/02/06 (木) 非 奇 蹟 (二)

義経は、あらゆる思慮を、その一日のうちにすました。
先ず第一に、書をもって、鎌倉の兄頼朝へ、

── 梶原殿との合戦、いまだそのじつ をあげず、先の御命ぎょめい にたいし、おそ れあるには似たれど、天機、今をおいてはあらじと存ぜられ、こよひ風浪の難を冒して、義経先鋒せんぽうそ をうけたまはり、出勢仕らんずと、一定いちぢやう 決し申し候ふ
いづれ次便を以って、猶々なほなほ 、申しあぐべくも、ここ数日は、屋島内裏だいり の守護、必定、手薄なりとの諜報をつかみ得、心 き候ふ儘、飛札ひさつ 、かくの如くに御座候ふ
    文治元年 (寿永四年) 二月十四日

と、飛脚した。決して、梶原を無視したり、思いつきの軽挙ではない旨を、達しておいたのである。
同時に。
田辺の湛増へも 「── 時節到来、今をはず さば、無用の加勢たるべし、すぐ、屋島へ来り会せよ」 と、早馬で催促した。
── が、それらの外部的な手順よりも、
「さしずめ、たれとたれを、ひきつれて行くか」
の方が、帷幕いばく におけるむずかしい問題となっていた。
昼の軍議に、義経が 「二の足を踏む者は残れ」 と、言ったことは、かなり諸将を刺戟したらしい。雑兵でない侍大将以上では 「残りたい」 と、口に出す者は、ほとんど、なかった。
「── さきには、無謀の御出勢なりと申したものの、判官ほうがん どのが、一陣に立たれ、あくまで、船出せんと仰せある以上、われらとて何条、ひる み申すべきや。おん供して、死出の先駆けま仕らん」
と、こぞって言う。
悲痛な容子ようす は、おおえないが、言葉の上では、みな、臆病顔おくびょうがお を見せられないものが、自然、その場を支配していた。
しかし、その勇には差があるし、われこそと望む、すべても心も、必ずしも一つではないことを、義経は、見逃してはいない。
「うれしい。・・・・うれしくは思うが」
と、義経は、かえって、それをなだめなければならなかった。
「申さば、義経は軽兵をもって、奇道を行くもの。大軍を引き具してゆくつもりはない。かちまた、ここの、あらましの船は破損して、にわかな修理はむずかしかろう。── ただ、義経が名指す者のみ義経とともに参れ。── そのほかの面々は、船づくろいの出来次第、明石沖あかしおき をへて、屋島の海へ進み出るがよい。── そのころには、海も ぎなん。もし、武運あらな、再会もしよう。またもし、義経が一勢いちぜい 、屋島の岸に見えずば、船諸共もろとも 、おぼれたか、敵へ するも、討たれおえたるものと、思うてくれい」
こう、一同を説いて、せの選抜は、彼自らが “武者の簿 ” から名を拾った。それは、わずか百五十騎に過ぎなかった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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