次の日。──
大津の出立はだいぶ遅れた。 洛中から院の使いが来て 「囚人
重衡は、都を通すなとの御諚ごじょう
である。山科やましな 街道から奈良へ行くように」
という下命だし、また、興福寺の使僧も来て、到着後の手順、処刑の方法などを、打ち合わせていたためだった。 おずれにせよ、ここまで来れば、もう着いたも同様と、五人の奈良法師らは、上機嫌だった。前夜の馳走ちそう
も、だいぶ彼らの気をよくさせたものらしく、 「南都到着は、明日のうちと手筈てはず
も決まった。もう一夜は泊りとなる、はや、急ぐことはない」 と言った。 京の口、逢坂山おうさかやま
から南へ曲がり、山科やましな
街道を小野、醍醐だいご と来て、やがて、日野ノ里。 日野は、平家に由縁ゆかり
が深い。以前、平家人へいけびと
の家も多かったし、所領もあった。そのせいか、重衡ふぁ通るうわさは水のように漏れていた。そして、護送使の先へ、道のべから走り寄って、何事か哀願したり、物を捧ささ
げて 「これを、重衡の君へ上げ給われ」 という男女やら、綿々めんめん
と、何か泣き訴えて、離れようとしない老女もあった。 「ならぬ。ならぬ。聞く耳はない」 祐経は、きびしい叱咤した
で、鞭むち を振り、それらの者に、一顧いっこ
もくれなかった。 けれど、まもなく石田の辻にかかり、左の森の奥に、法界寺の楼門ろうもん
を見ると、にわかに、駒こま をとめて、先頭の五人の法師に呼びかけた。 「あいや、今宵の宿所は、あれなる寺院だ。そこの山門道をお曲りください」 「なに、法界寺へ泊りとな」 法師らは、空を見て、 「なんと、まだ陽ひ
は高すぎる。せめて、宇治泊りにしてはいかがか」 「じつは先に郎党をつかわして、寺中へ用意を申し入れてある。あすの旅とて、わずかな道程みちのり
」 「では、ちと早いが、くつろぐか」 「御同道も、今宵限り、お名残に、昨夜の田楽歌でんがくうた
、もう一度、伺いたいものだ」 法師らは、笑い出した。それも悪くないような身振りである。 一行の人馬が山門に隠れ、寺房の屋根が、炊事の煙や、蜩ひぐらし
の声にくるまれると、いつか夜気は、しいんと、日野ノ里に降りてきた。 重衡の身は、仏縁なき魔性、仏敵たる人物、というので本堂薬師堂へは入れなかった。山門外の一宇の破や
れ堂に押し籠こ められ、番士が立った。 ──
夜も更けてからのことである。 番士たちは、破れ壁にもたれたり、縁の柱に寄りかかって、居眠っていた。どこからか二十日すぎの月がさしている。 |