〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
せん じゅまき

2014/02/02 (日) ゆ か り の 人 び と (三)

次の日。── 大津の出立はだいぶ遅れた。
洛中から院の使いが来て 「囚人めしゆうど 重衡は、都を通すなとの御諚ごじょう である。山科やましな 街道から奈良へ行くように」 という下命だし、また、興福寺の使僧も来て、到着後の手順、処刑の方法などを、打ち合わせていたためだった。
おずれにせよ、ここまで来れば、もう着いたも同様と、五人の奈良法師らは、上機嫌だった。前夜の馳走ちそう も、だいぶ彼らの気をよくさせたものらしく、
「南都到着は、明日のうちと手筈てはず も決まった。もう一夜は泊りとなる、はや、急ぐことはない」
と言った。
京の口、逢坂山おうさかやま から南へ曲がり、山科やましな 街道を小野、醍醐だいご と来て、やがて、日野ノ里。
日野は、平家に由縁ゆかり が深い。以前、平家人へいけびと の家も多かったし、所領もあった。そのせいか、重衡ふぁ通るうわさは水のように漏れていた。そして、護送使の先へ、道のべから走り寄って、何事か哀願したり、物をささ げて 「これを、重衡の君へ上げ給われ」 という男女やら、綿々めんめん と、何か泣き訴えて、離れようとしない老女もあった。
「ならぬ。ならぬ。聞く耳はない」
祐経は、きびしい叱咤した で、むち を振り、それらの者に、一顧いっこ もくれなかった。
けれど、まもなく石田の辻にかかり、左の森の奥に、法界寺の楼門ろうもん を見ると、にわかに、こま をとめて、先頭の五人の法師に呼びかけた。
「あいや、今宵の宿所は、あれなる寺院だ。そこの山門道をお曲りください」
「なに、法界寺へ泊りとな」
法師らは、空を見て、
「なんと、まだ は高すぎる。せめて、宇治泊りにしてはいかがか」
「じつは先に郎党をつかわして、寺中へ用意を申し入れてある。あすの旅とて、わずかな道程みちのり
「では、ちと早いが、くつろぐか」
「御同道も、今宵限り、お名残に、昨夜の田楽歌でんがくうた 、もう一度、伺いたいものだ」
法師らは、笑い出した。それも悪くないような身振りである。
一行の人馬が山門に隠れ、寺房の屋根が、炊事の煙や、ひぐらし の声にくるまれると、いつか夜気は、しいんと、日野ノ里に降りてきた。
重衡の身は、仏縁なき魔性、仏敵たる人物、というので本堂薬師堂へは入れなかった。山門外の一宇の れ堂に押し められ、番士が立った。
── 夜も更けてからのことである。
番士たちは、破れ壁にもたれたり、縁の柱に寄りかかって、居眠っていた。どこからか二十日すぎの月がさしている。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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