狩野介や頼兼にしても、特に、重衡を憎む理由は何もない。幾月かは、わg屋敷に預った縁もあるのだ。あと一両日の生命の人と分かっているだけに、憐れでならなかった。出来ることなら、今のうちに、なんなりと、してやりたいとさえ思っている。 護送使たちの心は、暗黙に一致していた。ほどなく、大津の宿所へ入った。 その晩、奈良法師らの五人は、護送使から、上座におかれて、ねぎらわれた。
「旅もあと二日足らず」 と、彼らも心をゆるしたか、深更まで食べ酔って、法師らの田楽歌
や手拍子てびょうし まで奥に聞こえた。 すると、その酒盛の最中さなか
である。 席を抜けた工藤祐経は、重衡のいるほの暗い一室へ、そっと見まわりに来た。そして、番の郎党たちへ 「おまえたちも、しばらく、寝小屋へ退さが
って、酒でも飲むがいい」 と、遠ざけた。 番士らが去ると、彼は縁の橋に出て、紙燭しそく
を振った。── と、それを見て、中庭の木戸から、木蔭の闇を這うように、縁へ近づいて来た男女がある。 祐経は、声をひそめて、二つの顔へ、 「余り長い間は許されぬ。ほんのつかのまぞ。よいか」 と、いいふくめ、紙燭をあずけて、立ち去った。 小さい灯の揺れをそばにおいて、二人は、祐経の影を伏し拝んだ。それは、放下僧ほうかそう
の兄妹だった。いや、重衡の旧臣の友時と、千手せんじゅ
であった。── 祐経も狩野介も、旅の途中から、すぐ知っていたのである。 夏の夜の暑さを、風も通さぬ簾す
の内に閉じ込められ、ただ蚊うなりを友としていた重衡は、そこに動いた灯影と白い顔を見て、愕然がくぜん
と、眼を凝こ らした。 「やっ、千手?・・・・。千手ではないか」 「殿っ・・・・殿」 「おう、友時よな」 「ああ、お目にかかれました。ふたりの一念が届いて」 「なつかしや、夢ではないか。千手よ、友時よ。内へ寄れ、その顔、近う見せてくれい」 奈良法師の田楽歌でんがくうた
の声が、遠くでしていた。その歌詞は、野卑で滑稽こっけい
だった。── しかし、ここの簾す
の内では、ひとつに抱き合った三つの生命が涙と涙に咽むせ
んでいた。許された時間はほんのわずかだったが、その哀歓あいかん
は甘く、心のちぎりは永劫えいごう
を感じていた。 |