重衡受け取りの為に、南都からは、五名の屈強
な大法師が下向し、列の真っ先を歩いていた。 また、鎌倉からの護送役には、伊豆の大夫頼兼、工藤くどう
祐経すけつね 、狩野介かのうのすけ
宗茂むねもち などであった。郎党、雑人ぞうにん
などを加え、ざっと四、五十人である。 同勢これだけの泊り泊りは容易でない。大きな民家に、あるいは寺院に、夜ごとの屋根だけは借りるが、晩の炊かし
ぎや、腰糧こしかて
(弁当) の支度などに、ごった返すのが常である。そして旅も長引くままに、郎党や雑人ぞうにん
たちは、上役の眼を盗んで、夜ごと、博奕ばくち
や酒に耽ふけ るのだった。それが彼らの旅の解放であり、慣なら
わしだった。 土地土地の安手な売笑婦やら物売りなども、こういう集団の旅客を見過ごしておくわかはない。どう喧やかま
しくいっても蚊のように忍び入り、酒や物をひさぐのはよいが、ふざけちらして夜を更ふ
かすのである。そして、昼間もぞろぞろ尾いて来て、駅路うまやじ
の幾つかを過ぎても、あとへ帰ろうとしない者さえあった。 「おいおい、あの放下僧ほうかそう
の兄妹きょうだい が、今日も後ろに見えるぞ。荷駄にだ
の者とふざけながら、ついて来る」 「夕べも、酒の席をとり持って、おれどもに腹を抱かか
えさせたが、ほかの芸人たちとちがい、物欲しそうな顔もせぬ」 「それよりも、あの妹やらの容貌きりょう
の美よ さ。ほんとに妹だろうか」 「夫婦なら仕ぐさで分かる。だが、あの放下僧の宥いたわ
りようは、まるで、あるじに仕えているようだ。夫婦者の仲ではない」 「では、脈があるな。今夜はひとつ」 「いや、同様な下心は、たれにもあるが、こう同勢が多くてはの」 「はははは、にらに合いか。──
だかいったい、あの放下の兄妹は、どこまで尾つ
いて来る気なのだろう」 「なんでも、里は大和の龍門りゅうもん
とかいっていたが」 旅はやがて、近江路にはいっていた。その日、たそがれ早めに、列は、瀬田の大橋の上に見えた。 狩野介かのうのすけ
宗茂むねもち は、つと、工藤くどう
祐経すけつね のそばへ、駒を寄せて、後ろを見つつ、また彼の横顔へ、 「工藤どの。工藤どの」
と、小声で話しかけた。 「── おたがい、口には出さずに来たが、和殿わどの
においても、気づかれぬはずはない。。鎌倉どのの聞こえもあり、この中には、奈良法師の眼も光っておる。そも、どうしたものだろう」 「む・・・・あの放下ほうか
の兄妹か」 「さればさ。たしか、不破ノ関あたりから姿を見せ、昨日も今日も後ろに見える。追い払うには、余りに不愍ふびん
だし、さりとて」 「いやいや、追うは無残、追うには及ぶまい。奈良までは、はや、ひと夜か、ふた夜」 「だが、列の先に立ち、あのように誇って行く奈良法師らが、それと知ったら、役目の怠慢を言い立てて、いかなる難題を持ち出すか知れまいが」 「なんの、途上の些事さじ
は、どうでもよいのだ。大事なのは、囚人の身を先方へ引き渡し、処分までを見届けて、その亡骸なきがら
の証しるし だけを、持ち帰ればよいのではないか」 「理屈りくつ
はそうだが、しかし法師らの感情では」 「好んで彼らを尖とが
らせることもない。そこは祐経も心得ておれば・・・・」 「そうか」 と、狩野介は、それきり黙った。瀬田の橋を、渡り越えていたのである。 彼は、祐経の胸を、たたいてみたのだ。むかし平家に仕え、重衡には、密かな同情を持つ者と、工藤祐経の心を察していたからだった。 |