〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
せん じゅまき

2014/02/02 (日) ゆ か り の 人 び と (一)

重衡受け取りの為に、南都からは、五名の屈強くっきょう な大法師が下向し、列の真っ先を歩いていた。
また、鎌倉からの護送役には、伊豆の大夫頼兼、工藤くどう 祐経すけつね狩野介かのうのすけ 宗茂むねもち などであった。郎党、雑人ぞうにん などを加え、ざっと四、五十人である。
同勢これだけの泊り泊りは容易でない。大きな民家に、あるいは寺院に、夜ごとの屋根だけは借りるが、晩のかし ぎや、腰糧こしかて (弁当) の支度などに、ごった返すのが常である。そして旅も長引くままに、郎党や雑人ぞうにん たちは、上役の眼を盗んで、夜ごと、博奕ばくち や酒にふけ るのだった。それが彼らの旅の解放であり、なら わしだった。
土地土地の安手な売笑婦やら物売りなども、こういう集団の旅客を見過ごしておくわかはない。どうやかま しくいっても蚊のように忍び入り、酒や物をひさぐのはよいが、ふざけちらして夜を かすのである。そして、昼間もぞろぞろ尾いて来て、駅路うまやじ の幾つかを過ぎても、あとへ帰ろうとしない者さえあった。
「おいおい、あの放下僧ほうかそう兄妹きょうだい が、今日も後ろに見えるぞ。荷駄にだ の者とふざけながら、ついて来る」
「夕べも、酒の席をとり持って、おれどもに腹をかか えさせたが、ほかの芸人たちとちがい、物欲しそうな顔もせぬ」
「それよりも、あの妹やらの容貌きりょう さ。ほんとに妹だろうか」
「夫婦なら仕ぐさで分かる。だが、あの放下僧のいたわ りようは、まるで、あるじに仕えているようだ。夫婦者の仲ではない」
「では、脈があるな。今夜はひとつ」
「いや、同様な下心は、たれにもあるが、こう同勢が多くてはの」
「はははは、にらに合いか。── だかいったい、あの放下の兄妹は、どこまで いて来る気なのだろう」
「なんでも、里は大和の龍門りゅうもん とかいっていたが」
旅はやがて、近江路にはいっていた。その日、たそがれ早めに、列は、瀬田の大橋の上に見えた。
狩野介かのうのすけ 宗茂むねもち は、つと、工藤くどう 祐経すけつね のそばへ、駒を寄せて、後ろを見つつ、また彼の横顔へ、
「工藤どの。工藤どの」 と、小声で話しかけた。
「── おたがい、口には出さずに来たが、和殿わどの においても、気づかれぬはずはない。。鎌倉どのの聞こえもあり、この中には、奈良法師の眼も光っておる。そも、どうしたものだろう」
「む・・・・あの放下ほうか の兄妹か」
「さればさ。たしか、不破ノ関あたりから姿を見せ、昨日も今日も後ろに見える。追い払うには、余りに不愍ふびん だし、さりとて」
「いやいや、追うは無残、追うには及ぶまい。奈良までは、はや、ひと夜か、ふた夜」
「だが、列の先に立ち、あのように誇って行く奈良法師らが、それと知ったら、役目の怠慢を言い立てて、いかなる難題を持ち出すか知れまいが」
「なんの、途上の些事さじ は、どうでもよいのだ。大事なのは、囚人の身を先方へ引き渡し、処分までを見届けて、その亡骸なきがらしるし だけを、持ち帰ればよいのではないか」
理屈りくつ はそうだが、しかし法師らの感情では」
「好んで彼らをとが らせることもない。そこは祐経も心得ておれば・・・・」
「そうか」
と、狩野介は、それきり黙った。瀬田の橋を、渡り越えていたのである。
彼は、祐経の胸を、たたいてみたのだ。むかし平家に仕え、重衡には、密かな同情を持つ者と、工藤祐経の心を察していたからだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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