〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
せん じゅまき

2014/02/01 (土) おん てき うけ り (三)

四年の、六月半ばの頃であった。
海道筋の三島みしま の森蔭で、しばし休んでいた旅装の人馬は、炎天下を一列に、ふたたび西へ指して、ぽかぽかと、乾いた道をふんで行った。
── はからずも、その中の一頭の馬の背に、重衡の姿が、見出される。
彼の消息が絶えてから、およそ八ヶ月目であった。
それまでは、どこにいる日も、身だしなみ清々すがすが しい重衡だったが、海道のほこり陽焦ひや けのせいばかりでなく、まったく変わり果てた彼に見えた。
いくぶん、頬も げたかに思われる。あごひげ まばらに、あか びかりしたえり あしへ、汗のまだら が浮いて見え、あの千手せんじゅ が、よくくし の歯を入れるごとにそのつや やかさに見恍みと れた黒髪も油気すらなかった。古直垂ひたたればかま 、そして、革足袋の足をじかに馬のあぶみへ懸けている ──。
海道を上下する旅人は多いが、これを重衡と気づく者はおそらくなかろう。まして、故入道清盛の五男の君と、たれに想像も出来ようか。どう見ても、ただの流人るにん市井しせい の一罪人としか振り返られまい。
けれど、彼の眸は、なんに恥ずる色もなかった。
やがて、磯松原ごしに、近々と、夏富士の姿を仰ぐと、なつかしげに、ふと何事も、忘れ顔だった。
この六月、彼の身柄は、ついに南都へ渡すと決まったのだ。で、これは奈良まで、護送使にひかれて行く彼の生き身の葬列だったわけである。
それまでの牢舎の月日を、重衡はどこに押し められていたことか。すでに鎌倉どのの打算的な慈悲とは縁なき一囚人いちめしゆうど とされ、冷たい獄飯ごくはん に露命をささえられて来たものにはちがいない。その皮膚には、あか を積み、汗をたたえ、ごくにお いを持っていた。いやその体臭の中にはしらみ すら住んでいそうな姿だった。
けれど、浜風に心を吹き洗わせ、富士を にしている彼には、そのどこにも、卑屈めいた暗さはなかった。といって 「── 俯仰ふぎょう 天地に恥じず」 などとりき んでいるふうでもない。ただ、風のまにまにである。命を天に任せ切っている姿なのだ。そしておりおりには、路傍の老人や子どもらを見かけ、ふと、ほほ笑みなどこぼしながら、列とともに行く彼であった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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