〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
せん じゅまき

2014/02/01 (土) おん てき うけ り (一)

その後、重衡の処分に関しては、院と鎌倉との折衝のほかに、奈良法師の容喙ようかい が加わって、事は一だんむずかしくなって行った。
いつの場合でもだが。
叡山えいざん や南都が、政治にくちばしを差しはさむと、事態は必ず紛糾ふんきゅう する。こんどもまた、そうだった。
「重衡の中将こそは、年来、ともに天をいだかじとしているわれらの怨敵おんてき 。それをなんぞや、院や鎌倉の手ぬるい処置に任せておいてよいものか」
彼ら特有な権威の自負も手伝って、不満は表面化し、やがて大衆の僉議せんぎ とまでなった。
「それよ、かつての日、平家の暴兵に見舞われ、大仏殿以下七堂しちどう 伽藍がらん を焼亡し、僧俗千余の黒焦くろこ げのかばねを出したのは、院でもない、鎌倉でもないわ、我ら南都の大衆ではないか」
「その南都が、なんのはか りも受けず、しかも、当時の悪大将重衡は、関東へ引き渡され、あまつさえ鎌倉では、ひそかに優遇されていると聞く」
「言語道断な沙汰。よろしく、悪魔重衡の身柄は、我らの手に い受けて、罪科を責め、むく いのほどをも、思い知らしてくれねばならん」
「仏天の処罰は、仏者を除いて、余人に委すべきではない。重衡の処置は、断じて、南都で り行え。他山の聞こえもあることぞ」
結論は、やがて、上訴の形をとり。物々しい彼らの代表者は、何度も都へ出て、院へ迫った。
「── 重衡を当方へ引き渡されたい。南都の合意なき処分は一切不当である。さなくば、大衆の激昂げきこう 、いかなる事態に及ぶやもはかり難い」
と、半ば脅迫的である。
例によって、院では、彼らをなだめるだけで、説き伏せる力もない。何よりは強訴ごうそ 騒ぎがこわ いし、叡山や園城寺おんじょうじ も、この問題では、南都を声援している形勢がある。たびたびの訴えに、持て余した院では、近臣の泰経やすつね が、法皇の仰せ出しと称して、こう答えた。
「もともと、重衡どのは、一ノ谷の虜将とらわれ なれば、院が御処分をとる意志は毛頭なかった。しかるに、鎌倉方の執拗しつよう な求めにより、南都の意向を問う暇もなく、関東へ下げ渡したが、しかしそれ以後の処置は、院のあずかり知るところではない。今や、重衡一身の生殺せいさつ 与奪よだつ は、鎌倉の手中にあれば、直々じきじき 、鎌倉へ交渉してみたがよい。どうなりと、両者の間で解決されるがよろしかろう」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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