〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
せん じゅまき

2014/01/31 (金)  か る る なま (一)

友時ともとき の消息には、なお鎌倉方の内部の動きについても六、七箇条にわけてしる してあった。
四月には、京都から三善みよし 康信やすのぶ が来て、鎌倉の軍政に参与し、近く、問注所もんちゅうじょ をおく運びにもなっている。
甲斐かい信濃しなの 地方に、小さい叛乱はんらん 沙汰があったが、まもなく平定したらしい。
また、頼朝は、伊勢大神宮に、神領を寄進した。
木曾残党の、志田義広が、五月ごろ、伊勢の羽取山でつか まって殺された。
なお、六月に入っては、
木曾征伐に功のあった一条忠頼が、なんのゆえか、 られた。たぶん、御家中の内輪揉めではあるまいかと、世間ではささやいている。
ところで今。── 世間が最も奇異に感じているのは、次の事柄であるらしい。
この六月五日、朝廷では、小除目こじもく (叙勲行賞) が行われたが、それによると、世上ではあまり重く見ていなかった蒲冠者かばのかじゃ 範頼のりより が、三河守にあげられ、じゅう 位下いのげじょ せられているのに、より戦功もあり、、またおなじ鎌倉殿の弟君でもある九郎義経へは、なんの除目もない。
いったい、これは、どうしたことか。
たれが見ても、片手落ちである。
第一、頼朝の代官として、都の守護に努め、近畿一帯の治安にも当っている義経にすれば、無位無官の身のままでは、朝廷との折衝にも、不便だろうし、周囲に対しては不面目なことこの上もあるまい。
何か、まずいことを引き起こして、頼朝の心をそこ ねでもしたのであろうか。
とかく取沙汰は、すべて臆測おくそく の域を出ないが、衆口の一致するところは 「梶原かじわら どのと、おもしろくないために」 ということだった。暗に、 「梶原どのの讒訴ざんそ が及ぼしたもの」 と、見ているらしい。
虚伝か、ほんとか、深いことになると、直参の御家人中でも、判断はつきかねている。しかし、なんとなくここへ来て、都と鎌倉との間 ── 義経と頼朝との仲に ── 何か、しっくりいかないものが生じつつあることは、疑う余地もないようだ。
片手落ちな勲功問題ばかりでなく、にわかに梶原を、再度、追討の先鋒せんぽう として立たせたり、新任の三河守範頼に、西国発向の用意を密々急がせているなど、どうやら、義経は、列外に除いてしまったようなふう が見られる。── いや案外、そこには、外部に漏れた以上な感情の齟齬そご や院と鎌倉との、暗々裡あんあんり な対立だのが、根深くひそ んでいて、それが軍政や人事のうえに、奇異な形になって、露呈しているのかもわからない。
いずれにせよ、院も鎌倉も、平家一門は、あとかたもないまでに、討ち亡ぼさねばやまじとしている方針では、完全に一致している。 「── 悲しいことではありますが、ここはとくと、お覚悟あるべきでございましょう」 と、友時の細々こまごま と書いた物は結ばれていた。
── 重衡しげひら は、読み疲れた読み殻をおいて、ほっと、外の灯へ、眼を休めた。
夜の簾に、青い虫が一匹、とまっている。
小机へ、 をもどすと、なお何か読み残した物があった。一葉いちよう懐紙かいし である。ひら いてみると、それは、右衛 え 門佐もんのすけつぼね からの歌であった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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