友時
の消息には、なお鎌倉方の内部の動きについても六、七箇条にわけて誌しる
してあった。 四月には、京都から三善みよし
康信やすのぶ が来て、鎌倉の軍政に参与し、近く、問注所もんちゅうじょ
をおく運びにもなっている。 甲斐かい
や信濃しなの 地方に、小さい叛乱はんらん
沙汰があったが、まもなく平定したらしい。 また、頼朝は、伊勢大神宮に、神領を寄進した。 木曾残党の、志田義広が、五月ごろ、伊勢の羽取山で捕つか
まって殺された。 なお、六月に入っては、 木曾征伐に功のあった一条忠頼が、なんのゆえか、斬き
られた。たぶん、御家中の内輪揉めではあるまいかと、世間ではささやいている。 ところで今。── 世間が最も奇異に感じているのは、次の事柄であるらしい。 この六月五日、朝廷では、小除目こじもく
(叙勲行賞) が行われたが、それによると、世上ではあまり重く見ていなかった蒲冠者かばのかじゃ
範頼のりより が、三河守にあげられ、従じゅう
五ご 位下いのげ
に叙じょ せられているのに、より戦功もあり、、またおなじ鎌倉殿の弟君でもある九郎義経へは、なんの除目もない。 いったい、これは、どうしたことか。 たれが見ても、片手落ちである。 第一、頼朝の代官として、都の守護に努め、近畿一帯の治安にも当っている義経にすれば、無位無官の身のままでは、朝廷との折衝にも、不便だろうし、周囲に対しては不面目なことこの上もあるまい。 何か、まずいことを引き起こして、頼朝の心を害そこ
ねでもしたのであろうか。 とかく取沙汰は、すべて臆測おくそく
の域を出ないが、衆口の一致するところは 「梶原かじわら
どのと、おもしろくないために」 ということだった。暗に、 「梶原どのの讒訴ざんそ
が及ぼしたもの」 と、見ているらしい。 虚伝か、ほんとか、深いことになると、直参の御家人中でも、判断はつきかねている。しかし、なんとなくここへ来て、都と鎌倉との間
── 義経と頼朝との仲に ── 何か、しっくりいかないものが生じつつあることは、疑う余地もないようだ。 片手落ちな勲功問題ばかりでなく、にわかに梶原を、再度、追討の先鋒せんぽう
として立たせたり、新任の三河守範頼に、西国発向の用意を密々急がせているなど、どうやら、義経は、列外に除いてしまったような風ふう
が見られる。── いや案外、そこには、外部に漏れた以上な感情の齟齬そご
や院と鎌倉との、暗々裡あんあんり
な対立だのが、根深く潜ひそ んでいて、それが軍政や人事のうえに、奇異な形になって、露呈しているのかもわからない。 いずれにせよ、院も鎌倉も、平家一門は、あとかたもないまでに、討ち亡ぼさねばやまじとしている方針では、完全に一致している。
「── 悲しいことではありますが、ここはとくと、お覚悟あるべきでございましょう」 と、友時の細々こまごま
と書いた物は結ばれていた。 ── 重衡しげひら
は、読み疲れた読み殻をおいて、ほっと、外の灯へ、眼を休めた。 夜の簾に、青い虫が一匹、とまっている。 小机へ、眸め
をもどすと、なお何か読み残した物があった。一葉いちよう
の懐紙かいし である。披ひら
いてみると、それは、右衛 え
門佐もんのすけ ノ局つぼね
からの歌であった。 |