「千手、密かにとは、何事ぞ」 「今日の帰り途で、以前、お館の御家来であった友時というお方にお目にかかりました」 「えっ、友時に・・・・。あの召次の友時が、この鎌倉に来ておるのか」 重衡は、びっくりした。 何か、そんな予感が日ごろもしないではなかったが、そう聞くと、彼は、自分のせいのように、ぎょっとした。 小役人ではあるが、官にある友時の身分だの、生命の危険までが、とっさに、気づかわれたのである。 ──
ふと、顔をくもらせたのを見、千手は、ためらったが、その友時から今日聞いたままを。ともかく次のように伝えた。 友時が、言うには。 いつか、重衡卿のお使いで、吉水の法然上人
の草庵そうあん を訪うた日から、切に、官途の仕えは思い断ち、その後ついに職を辞したが、さりとて、再び元の武者奉公をしる気もない。 いずれ行く末は、法然上人におすがりして、法弟とまではゆるされなくても、草庵の下男にでも置いていただき、新たな人生を見つけ出そうと望んでいるが、しかし、その出家前に、一度は主と仰いだ重衡卿の前途を見届けておきたいものと考えられた。 またそれは、あれほどまでに、重衡卿へお心をかけてくれた吉水の上人へたいしての応こた
えでもあり、いつかは御報告にも出なければならない義務とも信じられた。そこで、放下僧の猿丸と名も身装みなり
も変えて、この鎌倉の軍いくさ
景気の町へ紛まぎ れ込んで来たものであった
── と言う。 「・・・・と、申しまして、その友時どのから、これを、殿のお手へと、頼まれました。何やら文包ふみづつ
みのようでございますが」 千手はそれを、袖の裏うら
から取り出して、重衡の前に置いた。 「親しく、お目にかかりたいのは、やまやまですが、万一、仕損じたら、殿の禍わざわ
い、自分もまた、よそながらお守り申し上げることも出来なくなる。── 仔細しさい
は、文苞ふみづと の内にあれば、それを御覧くださいとのことでした。──
そして、これから先も、おりおりの秘事は、墻かき
の外より、ここのお庭の内へ、投げ文ぶみ
にて、お知らせするとも申していました」 「そうか・・・・。あの友時がのう、友時がのう」 と、重衡は、しきりな感慨をくり返して、いつまでも、文包みへ眼を落としたまま、 「この身の使いとして、吉水へ参ったことが、はからずも友時の生涯しょうがい
にも、ひとつの岐路になったとみゆる。重衡が、身の果ては、一定いちじょう
のこと。あわれ、友時には、よい再生がめぐまれて欲しいものだ。めったに、ここへは近づいてくれぬがよい」 と、つぶやいた。 橋廊下の向うで、狩野介の家人が、板木ばんぎ
を鳴らしていた。 燈火だの、食膳しょくぜん
だのが、そこまで、運ばれて来る時刻の知らせである。千手はそれを取りに立ち、重衡は、湯殿へ入った。 夜に入ると、ここは蛙かわず
の声にとりまかれる。千万の蛙が、一つ音調を作って、星の夜を占める。 室の簾す
を垂れて、重衡は、静かに、ともし灯を剪き
った。そして、友時からの物を解いた。 千手は、夜涼やりょう
の人のように、ひとり欄らん に倚よ
って、渡り口だの、亭の外を、見張っていた。 |