雨の少なかった雨季が過ぎて、田ではもう旱
の憂えがいわれている。そして毎日のように、府内の兵馬が、青田の水涸みずが
れもよそに、続々、西へ上って行った。 鎌倉の七月初めは、町中の動きも、際きわ
だって変わってきた。営中から出る軍方針の反映だろう。西国立ちの兵馬が特に目立ってきたのもその現われの一つである。ちまたでは、 「梶原どのも、再度、平家追討の軍いくさ
に立たれた」 と言っているし、馬具師や鎧作よろいづく
りの店頭にむらがって来る客の間でも、 「やがてまた、蒲殿かばどの
(範頼) が二度の御出陣も遠い先のことではない。注文の品、早くしてくれい」 と、誂あつら
え物の催促もここへ来てみな急だった。 稲村ヶ崎には、新たに大きな造船所が出来、府内の谷々やつやつ
には、諸国から移住して来た鍛冶かじ
部落ぶらく の小屋が、鎚つち
の音を谺こだま させ、その煙は、どうかすると、町辻まで低くはって来た。 こういう軍いくさ
景気がうごくと、馬匹や物資の売り込みにつれて、いろんな種類の女だの、博徒や旅芸人などの入り込んで来ることは、ほかの地方とも変りはない。 千手せんじゅ
は、そんな町の空気を、輿こし
の中から見て通った。しかし、いつもは半日の余も留められるのに、どうしたのか、今日に限って、彼女は、まもなく帰り途についていた。 仮粧坂けわいざか
を下り、鎌倉九所しょ の繁華の一つ、魚町まで来ると、物蔭に佇んでいた放下僧ほうかそう
(僧形の大道芸人) 風の男が、輿こし
の前へ出て、小腰をかがめ、 「つかぬことをお伺いしますが」 と、輿舁こしかき
の下人と、付き添いの郎党二人へ向かって言った。 「もしや、輿のお人は、千手せんじゅ
ノ御ご でがございませぬか。てまえは、猿丸と申し、手越の生まれで、千手どのとは、幼おさな
友達。なんとも、おなつかしく存じますので」 「これこれ、この人混みの中で・・・・。なつかしいからどうしたと申すのだ」 「お手間は取らせませぬ。どこぞ、人目立たぬ所で、お休み願って、しばし千手どのに会わせていただけますまいか」 「ばかをいえ」
と、郎党は眼にかど・・ をたてて
「ただのお遊女あそびめ とは、わけが違う。こうして、輿に付き添っているおれどもをなんと心得おるか。退の
きおろう」 と、突き飛ばしかねない権まくだった。 だが、男は世馴れていた。ただ、にやにやとうけて、なお何か、哀訴をささやく様子だった。どこの門でも、門の雑仕に
“門賃もんちん ” というものを握らせれば、通してもらえるといったような当世の裏の裏を、この放下僧は、ちゃんとのみこんでいるらしい。 袖の下が利いたとみえ輿は、町中の小社こやしろ
の森へ曲がって行った。やがて、空身からみ
になった輿舁こしかき と二人の郎党は、附近の酒売り店の軒へかくれ、酒を飲み飲み、遠くの方から、森の中の輿を見張っていた。 千手は、輿の簾す
を、内から少し揚げて、 「たれです・・・・わたくしに会いたいと仰っしゃるお方は」 と、いぶかしげに、見まわした。 放下僧は、草に坐っていた。野葡萄のぶどう
のツルや青すすきの葉先が、彼の頭より高い微風の中にあった。彼は、被っていた色頭巾いろずきん
を解き、それから、丁寧に礼儀をした。よく道ばたで見る物乞い同様な旅芸人の類たぐい
とも見えず、どこか、いやしくないところがあった。 「見覚えもない者がと、さだめし、御不審だったでございましょう。が、千手どの」 と、放下僧は、ひざがしらで、ずり寄って、 「怪しげな者ではありませぬ。あなた様へ近づき参らすのは初めてですが、重衡の中将さまには、以前、召次の小侍こざむらい
としてお仕えしていた者でございまする」 と、急に声を低めた。 「えっ、重衡さまの?」 と千手も思わず息をつめて 「では、わざわざ都から来たのでございますか」 「はい。この春、一たん旧主の檻車おりぐるま
に、お別れを告げたのでしたが、やはり心にかかってなりません。なんとか、御最後までは、、見届け申し上げなければと、官の職も罷や
め、身み なりもこんな風に変えて、もう十日ほど前から、鎌倉の辻を、さまようておりました」 「重衡さまへお会いしたいと、仰っしゃるので?」 「いや、それは、差し控えました。旧主のおん身に万一の禍わざわ
いとなってはたいへんです。ただ、よそながら狩野介どのの家のまわりは、何度、歩いたか知れません。そして、町のうわさで、あなたというお方が、おそばにいてくださることも知りました。千手どの、あなたを通して、お願いしたい儀があるのですが」 「ええ、なんなりと仰っしゃってくださいませ。重衡さまのおためにさえなることならば」 「あ、もし・・・・。輿をお出になるには及びませぬ。さきほどの郎党や輿舁こしかき
たちが、森の外の居酒屋から、こちらの方を見張っています。そのまま、輿の内においでください」 |