〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
せん じゅまき

2014/01/28 (火)  きみ (二)

「・・・・さらば、こんどは」
と。狩野介は、重衡の酔顔をうかがい見て、
「お客人まろうど 、遊ばしませ」
と、すすめ、かねて用意の楽器を、廊ノ間から運ばせた。
重衡は、好まぬ道ではないが、
「いかにとはいえ、虜囚の身で、楽器を持つなどは心ぐるしい」
と、辞したが、
「聞かせ給え、聞かせ給え」
都人みやこびと の、お手すさびなと」
妓たちも、せがみ合うし、狩野介や邦通んまども、しきりに言うので、
「では、人びととともに合奏あわ そう。工藤は、何を持つか」
と、重衡もつい隣へ言ってしまった。
祐経は答えて、
つづみつかまつ ります。鼓しかほかにのう もござりませねば」
「工藤は鼓か。よかろう。 ── 邦通どのは」
「笛をいたしましょう」
「では、重衡には、琵琶びわ を勤めよと申すのじゃな。が、琴は女性にょしょう が弾いて欲しいの。琴はたれ」
「・・・・・」
すると、邦通が、
「千手、なぜお受けせぬ」 と、眼でしかって ── 「琴は、千手がいたしまする。舞よりは、琴は上手といわれている千手ですから」
と、代って答えた。
千手は、消え入りそうな姿で 「まあ」 と、彼をにらむ真似まね をした。いやおうもなく和琴わごん の前にすわらされた。そして、いと の調べを合わせながら、おりおり、見て見ぬような眼のすみで、重衡の方を見た。
重衡の琵琶はいうまでもないが、邦通の笛は案外な巧さだった。可憐かれん な琴の音が、やっとそれへついてゆくように調べを合わせ、祐経の鼓の手は、とこどき、こだま のような冴えを発した。
夜気は、にわかに、しんとした。
あるじを始め、家の侍たちから、四人の妓まで、白々と、面を並べて、聞きとれた。
けれど、管絃かんげん のおもしろさは、聴く者よりは、それに我を忘れて、興じ合奏あわ せている者の方にある。剽戯者ひょうげもの の邦通も、笛吹く顔はおそろしく真面目まじめ であった。耳をふさいでその顔だけを見れば、おかしいほど顔の筋肉は忘我なものになりきっている。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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