重衡は、つよい。 彼の前の杯には、つねに酒がない。 千手が、気を利かせて、大ぶりな杯を持って来たが、それは眼で退
けた。 「酒を愛いと しむには、杯はやはり小さいがよい。そなたのような小づくりが、またなくよい」 と、それを機しお
に、また酌つ がせた。そしてすぐ乾ほ
してしまう。 まわりの朋輩たちは、わいわい、はやした。 「千手の御ご
は、御果報な。あとで、奢おご
っていただきましょう。それも大饗会だいきょうげ
のような、大振舞をしていただかなければ」 もう、だいぶ酔いのまわっていた藤ノ邦通は、手を打って、 「それよ、そのことだ。あとで存分、いじめてやるがよい。千手ノ前は、東男あずまおとこ
はきらいじゃそうな。それさえ、不届き者だのに、今宵は、妙にいつもの千手と容子が違う」 「まあ、邦通さまの、憎い戯ざ
れ口ぐち 、なんで、わたくしのような女が」 千手の顔が、海棠かいどう
のように染まるのを、なお、おもしろがって、 「それみい、語るに落ちている。わたくしのような女が ── とは、たれ様へ向かって申した言葉か」 「知らない。あなた様は、お酒だけ召あ
がっていればよいのです」 「はははは。いやさようか。さすが、そなただ。言外の言葉というものを知っておるな。それでよい。分かった分かった。千手の心の底は」 そこの、もつれや、戯ざ
れ言ごと を横において、重衡は、ひざがしらを少し斜めに、工藤祐経と、しきりに、遠い昔の、都ばなしを交わしていた。 今は、昔の主従でもない。また今夜は、虜囚と敵国の臣という対立もなかった。ただたまたま、時代の波に漂い離れ漂い会った人間と人間との、ゆくりない邂逅かいごう
の感慨を静かに語り合っているふうだった。 それも、重衡には、予期しない一興だったのに、あるじの狩野介には、座が白けたように見えたのだろうか、妓たちに向かって、にわかに、 「今宵は、なぜ舞わぬ。都人みやこびと
のおん前で、芸の未熟をおそれたか。都には都振り、東国にはまた東振あずまぶ
りもあるぞ。何も御興じゃ、舞うてお目にかけい」 と、励ました。 その夜の宴には、千手のほか、浦波、朧おぼろ
、木綿四手ゆうしで 、花扇などがいた。 いずれも美しく、鎌倉殿の御前舞にもえらばれた者たちだった。けれど、それにしてもなお、彼女らの舞にはどこか土臭さがあった。都の洗練された一流の白拍子を見た者の眼には粗野な芸というしかない。それも、ここの土壌から芽生えたのではなく、都の移入を、自然、東国風な武者好みに訛なま
ったり直した芸にすぎなかった。 千手の舞にしても、やはり住んでいる水に影響されないものではない。可憐かれん
ではあるが、稚拙であった。しかしその鄙振ひなぶり
も、重衡には、彼女の美を観み
るうえのさまたげには少しもならなかった。むしろ、惻々そくそく
と、異郷にある身を思わせ、帰る所のない旅愁りょしゅう
に、何か無性に、恋を恋するようなやるせなさを抱かせた。 |