終日
の雨だったので、暮れるも早い。 そのせいか。客も。約束の時間より早めの見えた。 いや、客というよりは、頼朝の命を受けた尾門使といった方がよいかも知れぬ。 ひとりは、近侍の工藤くどう
左衛門尉さえもんのじょう 祐経すけつね
。 もう一名は、蛭ヶ島時代、よく頼朝の配所に食客となっていた画工の播磨はりま
ノ邦通くにみち ── 今では祐筆の藤ノ邦通だった。 この邦通は、芸人である。むかしから頼朝が
「おかしげなる、剽戯者ひょうげもの
」 と銘を打っていた男だけに、打ってつけな役と、祐経にそえて、さし向けて来たものだろう。 「中将どのには、まだお身支度が」 彼はまた、遠慮もない。 遠慮がないという風は、こういう類型の人物には、共通なものである。邦通は、祐経とともに、席を分けて、上の方にすわった。まん中の空席は、いうまでもなく、重衡のために待たれてていた。 「・・・・これは、お早々と」 そこへ、あるじの狩野介が、あいさつに出た。子飼いの家人七、八名は、末座ににて、しきりと、邦通の冗談を、真顔でうけていたところだった。 「やがて、重衡の中将どのにも、まもなく、見えられましょう。・・・・和殿方わどのがた
のお越しの方が、約束の時刻よりは、ちとお早目。はや、お客かと、釜屋かまや
の者さえ、あわてておる」 「はてな」 と、邦通は、とぼけ顔して、工藤祐経の横顔を見 ── 「そんなつもりもなかったが、やはりちと早すぎたかな」 「早いといくら申しても、御辺は、お聞き入れの様子もなかった。遊ぶことには、いつも、おくれを取らぬお人ではあるぞ。はははは」 祐経は三十四、五。くだけても、どこか折り目をくずさないものを、きちんと持っている。苦にが
みばしった容貌ようぼう も、猛たけだけ
々しからず、柔弱でもなく、次の廊ろう
ノ間ま に控えている四人の歌姫うたひめ
たちの眸は、とかく、その顔に惹ひ
かれがちに見えた。 「おあるじ、鎌倉殿からも、特にお名ざしの、千手が見えぬようですが」 「いた、参っております」 「来ておりますか」 「中将どのには、今し方、湯殿を出られたばかりゆえ、お髪ぐし
を上げたり、お召しかえなど、何かのお世話をしているのでおざろう。まもなく、これへ見えまする」 「はや、そのような、お手まわしだったのか。とも知らず、不粋なおたずねを」 祐経はそう言って、狩野介と意味ありげな眼を見合わせた。邦通があまた、その尾について、廊ノ間の妓おんな
たちへむかい 「今夜は、おまえたちが見せ付けられる番だぞ。あとで千手にたっぷり奢おご
らしてやるがよい」 などと冗談を座に撒ま
いていると、庭に面した座敷の簾す
に、背のすぐれた人影がさした。 重衡 ── と知って、邦通も妓たちも、口をつぐんだ。急に、夜雨の音が、耳に入って来る。人びとの座構ざがま
えが改まったせいか、広座敷の灯も清潔すぎるほどな冴さ
えを新たにした。 こころもち、会釈えしゃく
を見せながら、重衡は空いている席へ黙って坐った。彼について来た千手は、朋輩ほうばい
たちのいる廊ノ間に入った。烏帽子えぼし
の漆うるし より濃い重衡の鬢びん
の毛には、櫛くし の歯がよく通っている。 「かねて、おあるじから、お伝えもあったでしょうが」 と、祐経は、その人の方へ向かって、いんぎんに、 「拙者どもの推参すいさん
は、なんの意味もありませぬ。この日ごろの雨つづき、さだめし、牢舎のお暮らしも、いとど愁うれ
たくおわそうにと、鎌倉殿のお察しなのです。なんぞして、お慰め申し上げよとの仰せでもあり、かく騒々ざわざわ
と、お見舞いに出でたにすぎません。ただおくつろぎ給わらば、何よりなので」 「過分な、おん宥いたわ
り、虜囚りょしゅう の重衡には、お礼の言葉もない。が、せっかくの芳志に甘え、今宵は、牢舎を忘れるつもりです。・・・・なんと工藤、虜囚りょしゅう
とは、よい身分のものではないか」 と、重衡はもう言われぬ先に、くつろいでいるといったような容子で、屈託くったく
もない笑顔を見せた。 東国の妓たちは、鉄漿かね
を染めた彼の歯並びが、もういうたびに、唇の端から黒光りして見えるのが、異様でもあり、何か、近づき難き高貴にも見えた。湯上りの後を薄く公達きんだち
化粧して端座した都人みやこびと
のすがすがしい姿一つに、灯もかがやき、彼女らもみな息をつめて見まもりあった。 けれど、祐経だけは、ふと、さしうつ向いてしまった。 いま、重衡から
「── なんと工藤」 と、親しげに言われたからである。 祐経は、二十歳がらみの時から、久しく都に居、平家一門の小松殿に仕えていた。よく重衡の送り迎えにも立ち、親しく言葉をかけられたこともある。 「いわば彼にとっては、旧主につながるお人であるのだ。多少、面映おもは
ゆいし、気の毒な感にたえない。しかし、祐経は、後ろめたさに、うつ向いたわけではない。べつに自分には自分の事情もあり、同情ももっている。── ただふと、耳に覚えのある声で、昔のままの親しさで呼ばれたために、今昔こんじゃく
の想いに、答える言葉を見失ったまでであった。 |