重衡は、素直に、うなずいて、 「ありがたい御意。世間の慈悲の肌を、こんどほど、身に沁みて知ったことはありませぬ。平家は一門同族の内では、二十余年よく楽しみ暮しましたが、その世間への慈悲が足りませんでした。それだけを今、すまないことと、深く悔いておりまする」 と、たれへともなく、自然な頭を下げて、 「仰せまでもなく、身の養生にも、つとめまする。が、けさほども、土肥どのの心入れにて、特に、干鰈
に、白粥しらかゆ を賜り、若菜わかな
の汁など、何杯も代えたいほど美味しくいただいたほどです。ほかに不足とてもなし、重衡は昨今、もったいないほど、みち足りておりまする。よそながら、何とぞ、御安心を」 と、ほのぼのと笑った。 重衡の笑顔が、浮くように見え出したのは、小坪
(中庭) の枝垂しだ
れ桜ざくら に朝の陽ひ
が映さ して来たせいであろう。時刻はそれほど、二人の間に、時知らぬ間に経た
っていたのである。 ところへ、中門を入って来た土肥実平と一群の武者が、庭上に立ちそろって、こなたの、階きざはし
へ、呼ばわった。 「梶原どのの御人数も参られたり。はや、御時刻。 ── 中将どのには、疾と
う疾と う、ここをお立ち出であれ」 「おう」 と、小声で答えながら、重衡はすぐ座を立った。 駆け上がってきた雑兵が、東と南の縁の破や
れ簾す をみな巻き揚げる。まだ消え残っていた幽室の灯をそのまま、外の花明りがさしこんで、重衡の大口おおぐち
の裾すそ にも白い花片がしきりに舞った。 「お歩きなさい」 雑兵たちにうながされて、重衡は、一歩一歩、階きざはし
を降り始めた。そこで、いちど静かに、満庭の将士を、ながめて、いんぎんに、 「御苦労です」 と、一礼した。 梶原のひとみ、実平のひとみ、義経のひとみ、彼を見る心情のさまざまな眼の列を横に、重衡の姿は、中門へ通って行った。そしてすぐ、馬の背に移った。 |