〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
せん じゅまき

2014/01/20 (月) 中 将 ・ 街 道 下 り (三)

梶原の同勢は、およそ百人ほどだった。
え馬のほかべつにまた、重衡の乗用として、網代車あじろぐるま も列の中に用意されていた。── これは、風雨の日や、重衡が疲労した場合などのために、義経から景時へ頼んで、特に、計らわせたものである。
そして、出立の時刻も、 「ほの暗いうちに」 と、決めておいたのに、その好意は、届かなかった。しかも景時は、
「車は、万一の備えだけのこと。都立ちは、馬の背でやれい。馬に乗せて、追っ立てよ」
と、これへ来るなり号令した。
役目交代となった以上、すべては彼に移された職権にあることだ。他は黙しているほかはない。
「さらば、下向の途につくが、九郎の殿、土肥どの」 と、彼は郎党の引き寄せる馬を後ろに、最後の会釈えしゃく をして言った。 「── なんぞ、鎌倉表に、おことずての儀でもないか」
「べつに。・・・・ただ鎌倉殿のおん前、よしなに、お聞こえ上げを」
「心得申した。鵯越えの御軍功など、いずれおたず ねもあろうが、景時からも、よく申し上げるであろう」
「いや、義経の軍功などはともあれ、洛中守護の任、身に重過ぎることながら、懸命に勤めおりますゆえ、御安心下さるように、と」
御謙遜ごけんそん だの。はははは」
すぐ馬上へ移って、もう一度、こま の上から列の前後を見わたした。
── と、どういう縁故の者たちだろうか。いま、列の中へ引き込まれた重衡の姿を見ると、見物の人垣ひとがき から突然六、七人の男女が、盲目的にそれへ駆けむらがった。そして重衡の馬の左右へ取りすがって、人前もなく、泣きわめいた。
みな口々に別れを惜しむらしいのである。涙の顔を集めて、重衡の姿を見上げ、何か、かたみの物でも贈ろうとするのか、求めるのか、とにかく取り乱して、武者たちの制止などはほとんど耳にもはいらない。
どれもみや びた身なりではない。その日の生業なりわい にも追われているような者ばかりである。尼、物売り女、下臈げろう 、農夫、牛飼などであった。── 思うに、以前は三位中将の門に養われていた召使か、出入りの小者に違いなかった。かの木工寮もくのりょう の友時とおなじような心の人びとであろう。重盛が、いかに常日ごろ、彼らにも慕われていたよい主人であったかが分けるのだった。
「やあ、何を猶予」
と、景時は、列の先頭から振り向いて、武者たちへどなった。
「いちいち、そんな者にかかずろうていたら、果てしはない。追っ払え、追っ払え。 ── いざ立つぞ」
彼の一令に列は進み始める。重衡の馬にとりすがっていた男女は、ムチで追われたり、道の左右へ突き飛ばされ、彼らの号泣ごうきゅう だけが、あとに残った。
群集も列について、ぞろぞろなだれ合った。しかし、この日は、小石や泥草鞋どろわらじ は飛ばなかった。あらかじめ、義経が、部下に命じて、路傍を警固させていたためであろう。
辻へかかって、七条坊門の角を曲がるとき、重衡は、馬の背から振り向いた。── が、義経の姿も、実平の影も、もう見えなかった。
彼を取り囲んで行く梶原の列は、ちょうど。さきの日の引きまわしの場合と同じように、わざと、物見高い町中を練って、五条大橋を東へ渡った。
やがて、粟田口あわたぐち から四ノ宮河原へ。── そして逢坂おうさかせき を越え、瀬田を渡り、その日の夕方には、もう都は遠い後ろに思われた。
宿は、おおむね、土地土地の寺院、あるいは、長者の家といったような豪家に割り当てられてある。── 景時始め、その部下なども、意識的に、重衡を特に苛酷かこく にするという風には見えない。ただ極めて法令的なのだ。人間としてでなく、敵の虜囚りょしゅう として扱ってゆくだけにすぎないまでだった。
それにしても、重衡の街道下りは、ふつう以上に、日数を費やした。
やがて、伊豆の国府 (三島) に着いたのが三月二十三日であった。── 都からほぼ半月もかかっている。
国府ノ庁の一室に重衡を閉じ込めておき、護送の人数はそこでみな 「やれやれ」 と、ひと休みの様子を見せた。そして、梶原景時かじわらかげとき は、その日すぐ、ここからほど近い伊豆の北条へ使いを飛ばし。何かの返辞を待つもののようであった。
おりふし、頼朝は、夫人政子の里親に当る北条家に泊って、奥伊豆の狩猟かり に来ていたのである。
景時の使いが、北条家に着くと、翌日のひる ごろ、北条時政自身が、さっそく三島へ出向いて来た。そして、国府ノ庁の一室で、久しぶりな景時と談笑していた。いうまでもなく、頼朝の旨をおびて、重衡の以後の処置を ── また、頼朝がどこで虜将重衡を見るか ── という打ち合わせなどもしていたにちがいない。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ