雑兵の口からでも、漏れていたのだろう。町ではもう今朝のことを知っていた。堀川ノ御堂筋には、見物がいっぱいだった。 それも、暗いうちからの人垣
である。貴人の遠流おんる などには、当人の恥や思いを刑吏も察して、未明に都を立つ場合がある。──
重衡の中将の護送も、おそらくその例かと、早くから待ちかまえていた群集であったらしい。 けれど、そこの桜が白々と屋根越しに明け初め、警護の兵の松明たいまつ
がみな消されても、中門の鎖くさり
はなかなか解かれなかった。 「遅いのう」 こういった風な顔つきは、外の人垣ばかりではない。その朝、梶原かじわら
と交代するはずの土肥実平とその部下をも、当然、いらいらさせていた。 「── もう疾と
くに見えてもよい時刻。どうしたのか、梶原どのは」 怺こら
えかねたように、実平は、往来に出て、佇んでいたが、是非もなげに、また築土ついじ
の内の床几しょうぎ へもどった。 だが、彼は胸をさすって、こう思い直した。 梶原の遅刻は、自分らには業腹ごうはら
なことだが、しかし、奥の幽所で別離を惜しまれている重衡の中将と、九郎の殿にとっては、ゆるりとお話も出来、かえって倖でであったかもしれない ── と。 そう思えば、腹も立たなかった。奥をうかがえば、中将と義経との、笑い声すら、時おり、漏れて来る。 義経は、自己の職責上と、重衡へ寄せていたひそかな同情からも、今日の別れを惜しんで、まだ暗いうちに、ここを訪い、
「── またぞろ、先ごろのような狼藉ろうぜき
がないように」 と、往来のあなたこなたに、部下を配しておき、自身は、 「寸時のお名残を」 と、奥へ入って、重衡と会っていたのである。 すでに重衡は、暁の灯で、歯に鉄漿かね
さえ染め直し、かねて義経から贈られた肌着、直垂ひたたれ
を着替えて、折おり 烏帽子えぼし
の下に透く髪の香も艶つや やかに、粧よそお
いをすましていた。 そして、義経の訪れに会うと、よろこびのうちにも、深く身を折り屈かが
めて、 「きのうは、法然御房にお目にかかって宿望をとげ、昨夜はひさびさでこころよく熟睡うまい
もいたしました。今日までの御庇護ごひご
と、おん情けは、なかなか、お礼も申しきれません。身、鎌倉へ送られて、すぐ打ち首になりましょうとも、など、この御恩を忘れましょうか」 と、心から言った。 義経は、その姿に、かえって、自分の幼時の姿を映うつ
されていた。自分ひとりではない、兄の頼朝も、十三歳の昔、池ノ禅尼の幽室で、こういう風に、囚人めしゆうど
の座におかれ、清盛の嫡男小松重盛から、不愍ふびん
をかけられて、人の情けに、涙を垂れたことがあるのである。昨日のわが運命が、今日は人の身の上に、そしてまたいつか、自分に巡り返って来る運命でないと、たれが保証し得るだろうか。 おそらく、兄の鎌倉殿も、昔を忘れてはいないだろう。敵とはいえ、無力な虜囚りょしゅう
の人に、そう酷むご いことはなされまいと
── 口にまで出かけたが、義経はしかし、言葉には出さなかった。 ただ、さるげなく、 「敵国の府へ、百里をひかれてゆく身と思えば、さだめしお心細くおわそうが、渡る世間に鬼はないとやら申すこと、この九郎なども、幼時の身に覚えがあります。むごい、冷たい世間。けれど限りなく、情と情で暖め合っている世間でもある。かならず先々では、そうした知己にも会われましょう。何よりは、御自身、お体をおいといあって」 と、慰めた。 |