〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
せん じゅまき

2014/01/17 (金) 仏 敵 同 士 (二)

ふと、法然が半眼はんがん を開いた。
重衡も、眼を、みひらいた。
二人の間に、ふたたび話が始まった。十年の知己かのように、こんどは、もっと打ち解けていた。
── だが、むずかしい経典や宗義などは一切持ち出すこともない法然だった。愚痴ぐち 鈍根どんこん といってよいか、五逆十罪のかたまりといおうか、このやっかいな生き物を、彼は自分の生命の中に見、また、億衆の中にもそれを、見つめている。
── 浄土への工夫くふう 、極楽への途。
万巻の経は説くが、人間の世は、少しも解決されているとはみえない。
億衆の智恵は、釈迦しゃか の智恵も及ばないものだった。人智は無際限に、この世を複雑にし、構造をかえ、釈迦の予想をも、裏切って行く。
僧団が、兵力を養う。政争の中にも割り込む。法燈の山は、諸国の前科者で占められ、皇居や貴族にも劣らないその殿堂と壇は、武力にかけて犯させない。
こういう落とし子を、釈迦は、予想したろうか。
また、院政と武門との葛藤かっとう 、一日一日、その地位を崩されつつぁる公卿社会のあがき ──
保元以来の乱やこの恐怖的な世相は、いつやみそうな気色もない。消し手のない曠野こうや の野火とおなじである。この悪い世を作り合っている人間が、みな仏者であり、智者である。たれひとり、自己が悪いとは思っていない。
「── ただ、あわれなのは、貧しい土壌どじょう の人びとであろう。耕す物は、貢税みつぎ られ、久しい悪政と戦乱の下に、雑草か虫けらのようにおかれたままよ。法然の他力本願と申すことも、その人びとへは、救いの方便にすぎぬ。法然に戦いをやめさせる力もなく、法然にまつり をただす能もない。ただ念仏一心に、弥陀みだ の御縁をつないで、喧嘩けんか せず、おと し合わず、助け合うて、この末法まっぽう 濁乱じょくらん の時代を、彼岸に渡らんとするものでおざる。 ── 重衡どのは、武門におわすが、武門の衆生も、また、修羅しゅら餓鬼がき にすぎぬことを、眼にも御ろう ぜられたであろう。およそ、かかる世に、まことの安住を得ている人は、朝家武門にも、一人としてあろうはずはない。されば ── このうえはただ、おのれ人間なるものの凡愚におん眼をひらかれ、法然とともに、朝夕、念仏をとなえ召されよ。それ以外のわずら いは、混迷こんめいもと 。ひたすら、仏のおん導きにまかせ給うて、鎌倉へおくだ りあれ。人と生まれて、一日とてたの しまぬ日を持つこそ不幸の第一と存ずる。さいごの日までも、愉しくお過ごしと聞かば、蔭ながら、どのように、うれしいか知れませぬ」
法然の話はつきない。
彼はなお、ことばをつづけ、
「すでにあなたは即身成仏のまことを、小八葉こはちよう の車の内にげん じておいでなのじゃ。その重衡どのへ、法然が、今さら教える何ものもない」
と、言い、また、
「御出家のお望みもあるやに伺ったが、院のみゆりしなくば、お心にまかせまいし、形の法体ほったい など、われらの生涯ならぬお身には、無用なこと。ただ、御機縁のしるしまでには」
と、重衡の後ろへ立って、その髪へ、三度、剃刀かみそり を当てるまねをした。そして、
三帰戒さんきかいじゅ 、すみ申した。では、これにておいとまを」 ── と、そのまま、簾の外へ去ろうとした。
「しばらく、お待ち給わりませ」
と、重衡は、その袖をひきとめて、
「この品、お布施ふせ と思し召して、お持ち帰り給わりますまいか」
と、机のそばにあった一合いちごう双紙箱そうしばこ を取って、法然の前に献じた。
「よい、おあかたみ」
押しいただいて、法然は、それを法衣の袖にくるんで持ち帰った。 ── 送りもならず、重衡は、渡り欄の角まで出て、見送っていた。下屋しもや の端から、友時が走り出て、あわてて、あとについて行くのが見えた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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