「お使いの者は、どこじゃ。どこにおらるる」 無造作に、水屋の土間へ降りて来た法然は、そう言いながら、辺りの人たちを見まわした。 軒下の雨落ちに屈
まったまま。 「お願いは、無理かも知れぬ。もし、かなえば、それこそ、み仏の慈悲」 と、奥の返辞を、祈るが如く待っていた友時は、いきなり、法話の座を中途にして出て来た法然の法然の姿を、眼の前に見たので、 「あ。こ、これは」 と、みしろ、うろたえ気味に、汚いわら草履ぞうり
へ乗せた法然の巨大な足の前へ出て、ただ頭を下げた。 彼の眼が見るともなく近々と見た法然の足首は、牛飼いの足みたいに毛むくじゃらで大きかった。叡山三岳の苦行や、世路のさまよいや、教化の年月が、その踵かかと
の皮に物語れている。指の一本一本が、大地にしかと吸着していて、全身の智識は、頭からでなく、その足から摂取せっしゅ
したものという姿である。ただ曲禄きょくろく
に安坐して、きんらんの袈裟けさ
にくるまれた智識の身なりとは、似ても似つかないものだった。 「おう、あなたか。中将どののお使いは 」 「はい。元お仕え申していた召次めしつぎ
の小侍、友時と申す者。おりふし、お忙しい中へ伺い出ましたが」 「仔細は、いま、信空から承った、ご苦労よの」 「ど、そう仕りまして。それどころではございません。けれど、旧主のお方が、都にとどめおかるるのも、今日一日限りで、あすは鎌倉表へ下られまする。まこと、無態むたい
なお願いでございましょうが」 「なんの、ふたたびは知れぬ一期いちご
の御見ぎょけん 、よう、法然を思い出してくだされた。・・・・さ、参ろうか」 「え。ではすぐに」 「──
信空。笠かさ を」 竹の杖は、自分で取って、気軽に、軒先を外へ出た。 「わたくしかたれか、一両人お供いたして参りましょう」 ひのき笠を渡しながら、信空が言うのを、 「それには及ばぬ」 と、法然はもう垣の裏口を出て行くのだった。そして、いそいそ従つ
いて来る友時をかえりみては、 「幽所の内では、何かと不便でおわそうが、お食事などもよう召あ
がられるか、源氏方のお扱いは」 などと、重衡の健康やら身のまわりのことなどときどき訊たず
ねて、 「よい目にお遭あ
いなされた。須磨すま の浜軍はまいくさ
とやらで御最期ごさいご あっては、ついに生まれて人間の生きの味わいも知らず仕舞いじゃったろうに、生捕いけど
られて、いかにかえってお倖せであったことかよ。ぞんぶん、人間を知り、己おのれ
を観かん じ、この世も御見物なされしならん」 と、笠のうちでつぶやいた。
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