ちょうど法話のひとくぎりと見える。聴聞
の男女のうえにも、くつろぎがながめられた。 さっそく柴垣
しばがき の外へ出て、嬰児 えいじ
に尿 いばり をさせる母親やら、椀
わん に水を汲んで年寄りに与えている娘もある。それまで 「何か?」
と疑って、佇み聞いていた旅人は、笠 かさ
を脱いでで腰の下に敷き、 「なお聞かばや」 と落ち着きこんで、あたりの者とその感銘を語っている。 法然 ほうねん
は、ひと息つきながら、それらの貧しい、しかし愛すべき素朴 そぼく
さを一つ一つの顔に見ていた。 彼らが、それぞれの土の寝小屋に、どんな苦患 くげん
を持っているか、訴えたいものは何か、法然には、分かる気がする。 ここに見えるほどな者は、盗賊の類にはなれず、下法師 しもぼうし
の仲間入りして、怠けて食う知恵も知らない良民なのだ。もっとも愛すべき多数な人間が、もっとも、みじめな宿命にあった。飢饉 ききん
、戦乱、悪政、風水害、流行 はや
り病、およそ人災、天災をとわず、すべての災厄をうける露命に生まれついている。まるで地獄の約束事だ。そして、どこにも救いの光明はない。 法然は見かねて山を降り、このあわれな露命にみつる世間へ出て来た。──
というよりもその発足 ほっそく
は彼自身の懐疑のさまよいであったといえよう。叡山えいざん
に籠こも って叡山の胎毒たいどく
にたえかね、南都に遊学して南都の矛盾と堕落ぶりに、なお行き暮れたのみであった。寺院すらもまことの道を求める僧が身をおける住みかではない。 彼は何度か、暗やみの経蔵へ入って、月日も忘れた、黒谷の一切経蔵とか、報恩蔵とかの、万巻の聖典も、むさぼり読んだ。およそ釈尊しゃくそん
が残した知恵を知恵で汲み取った。天台顕密てんだいけんみつ
の祖も見つけなかったところに気づいて、狂喜した。── 仏教渡来の日からこの国では、貴族の手にそれが招来され、貴族の中にしか仏華ぶつげ
は開かれたいなかった。 「ほんとは、庶民のもの、貧しい人びとのもの、平易なもの、自力に驕おご
らない、他力を本願として往生のできるもの ── 」 との信をうけた。そして、吉水の路傍に、一庵いちあん
をむすび、旧教の戒律など眼中に置かない、浄土易行じょうどいぎょう
の新しい教義を人に説き始めたのである。まず、道行く人や、近隣の貧しい群を相手に説教しだした。けれど、初めのうちは、板にものを言っているようであった。それらの対象は、まるでつんぼうのようでしかない。彼の知識は空転していたのだ。庶民は学問を聞きたがってはいなかった。そのくせ、ひからびた心は焦や
けつくような渇かわ きをみせて何かを求めぬいている。法然の苦しみは、持ちながらそれを彼らに頒わ
けてやれないことだった。根本は仏の愛を説くことに尽きていながら、仏の慈眼じげん
にまでなりきれていないのだと思った。知恵のひとみで聴聞ちょうもん
の座を見、智識の言葉でしか衆に接していない自分を覚さと
った。 それからの彼の法話は、一そう平易になっていた。聞く者は、自分たちの中にいつも法然がいる気がした。法然の心もまたそうであった。 「上人のお眸ひとみ
は、茶いろの光をもっている。琥珀こはく
のようなお眸だ」 と、人びとが言い始めたのも彼らの心を現したものだろう。── たしかに異相な法然ではあったが、眸の色をそんなふうに言われ出したのは、彼自身が心がけていた
“仏の眼を自分の眼の持つ” 悲願がついにとどいたものかもしれなかった。 |