およそこれまでの、旧教の上人や碩学
の法話というと、仏典のことばが、生のまま羅列られつ
され、ただありがたそうに語られてゆく。たれにも、解わか
りはしないのである。その解りもしないものを、散華薫香さんげくんこう
にくるんで、世の貴族たちやその子女を随喜させていたにすぎない。一生の貧苦を、埴生はにゅう
の小屋に、結びつけられ、戦乱と飢饉ききん
にさまよい、すこし市いち や畑に働いていれば、またべつな軍隊や権力がやって来て、蝗いなご
のように、野を枯らしてしまう世荷に喘あえ
いでいた庶民にとっては、救われることなどはおろか、呪のろ
いの仏教でしかなかった。 そんな中に、吉水の上人だけは、 「もともと、釈尊しゃくそん
の教義は、あなた方を救うために説かれたものだ。まことの仏心は、あなた方の中にある」 と言ってくれるし、また 「── むずかしくはない。ありのまま、ただ念仏だけをお唱えなさい。悪人、その人もそのままでよい」
と、いちいち、ふしぎなことをいう。少なくも、これまでの叡山や南都の宗教だけが宗教と観念づけられていた人びとには、ふしぎな声にそれは聞こえた。 しかし、あきらめの下から、何かおのおのの生命は励みを与えられ、清新な風に吹かれる気がした。
「生きよう」 と思い直し、 「こんな世の中に生きつつも浄土に住もう」 と、いう考えになるらしかった。そういう評判を一再ならず、友時も聞いていた。 「まるほど、わしなども、思い違いしていた一人か」 法話の途中からではあったが、もう友時にすら、いろんな反省がわいていた。 仏舎楼閣ぶっしゃろうかく
のあの荘厳が、いかに、ほんとは無慈悲な華麗にすぎないか。そこに巣食う僧侶そうりょ
は、仏陀ぶつだ をかざり物にして、まことは、仏陀が最も愛している可憐かれん
な庶民を、権門や武門とともに争って、ただ、食い物にしている徒食の群にすぎないのではないか。 ── 彼は何か、かなしくなり、浅ましくなった。それとひとしい世の虚偽の中に、自分も官の小役人として生かされているものだと気づいた。だから常になんとなく不安なのだ。ひとつ、ほんとに安心して生きる生き方を考えてみなければいけない。家には、妻子もあり、そろそろ年も年だし・・・・
などと思いつつ、うかと、法話に聞き入っていた。 が、ふと、そのうちに、急用をおびている身を思い出し、法話はいつ果つべしともみえない。彼はにわかに落ちつかない目で辺りを見た。聞き入っている男女は倦う
むをしらないていである。友時は立って、屈み腰のまま、そうっと、そこを抜け出した。 ── そして草庵の厨くりや
の方へまわって行った。流し元の桶おけ
へ、懸樋かけひ の水が、すがすがと落ち、樋ひ
をあふれた水が、ささ流れを描いてゆく。 流れをまたいで、彼は、内をのぞきこんだ。が、厨くりや
の板の間にも、僧俗の男女が七、八人も耳傾けてすわっていた。── 中に法然の弟子の感西や信空などもいた。軒下の人の気配に、その信空が振り向いて、 「どなたじゃ。・・・・何か御用か?」 と、小声でとがめた。 「は」 と、友時はすぐ片ひざを落として、彼も辺りをさまたげぬほどな小声で言った。 「──
おり入ってのお願いのため、昨今、堀川ノ御堂におられる、さる御方の使いとして参った者でございまする。仔細を申し上げねば、御得心もなりますまい。恐れ入りますが、軒の外まで、ちょっと、お顔をおかしくださいませぬか」
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