〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
せん じゅまき

2014/01/09 (木) 朝 の 吉 水 (二)

「おい、木工殿もくどの 、お呼びだぞ、早く行け」
もう、明日は中将殿の鎌倉送り。ここも、今日限りという日の、朝だった。
警固の者からそう言われて、友時はあわて気味に、いつもの板縁を立った。そして、幽所へ行く渡りの口へかかろうとすると、また後ろで、
「ちがう、ちがう。お呼びになっているのは、土肥の殿だ、おぬしの旧主ではないわ」
と、武士たちが笑った。
「あ。実平様の方でしたか」
どぎまぎしながら、彼は一人の家来について、土肥実平の仮屋の方へみちびかれて行った。
── しかられるのではないか。あるいは、都立ちの準備の邪魔、消え失せろと、追われるのではないか。実平の前に出るまでは、おどおどしていた。
── が、思いのほかな、実平の言葉であった。
かねて、中将殿からの願いの儀が、昨夕、義経殿の御一存で、おゆるしとなった。ついては、さっそく使いに立って、中将殿の会いたがっているお人をここへ御案内申して来るがよい。── そのお人とは、東山吉水よしみず草庵そうあん におらるる法然上人である。あすとは待てないにわかなこと。ぜひにと、おすがりしてもお連れ申して来るがよい ── といういいつけなのだ。
「あ、ありがとう存じまする」
友時は、雀躍こおどり りして、出て行った。
重衡の望みは、友時も聞いていた。けれど、虜将りょうしょう の境遇では、身勝手な御面会などゆるされるはずもない。多分、そのお望みは無理だろう。そうあきらめていたとこえおなのである。
五条大橋へ出ては遠まわりになる。少しでも早くと、友時は川の浅瀬を拾って東へ渡った。そして、吉水へ来てみると、朝というのに、もう草庵には人がいっぱいだった。禅室ぜんしつ の濡れ縁にも、まわりの庭にも、素朴な男女がみちあふれていた。柴垣しばがき 越しに外にたたず んでいる人びとまでが、声もたてず、草案の内の一点に、みな心を真向きに向けて、他念もない一世界を作っていた。
「あ、これはおりが悪い。今日は上人の御法話日とみえる」
ぜひもなく、彼もそっと、庭の内は入った。そして大勢のいるむしろ の端にすわって、半ば、もの珍しげに、様子を見ていた。
草庵は、水屋や広縁を除けば、わずか三間みま ばかりの小家でしかない。
遣戸やりど明障子あかりしょうじ も払わせて、一堂の広さには取ってある。けれど、寺らしい荘厳具しょうごんぐ金襴きんらん の光など何一つなかった。また、禅室の中央にも、べつに高壇こうだん の設けがあるわけでもない。ただ畳台じょうだい 一帖いちじょう を、すこし奥の方へ敷かせ、幾巻かの聖教を経机において、それを前に、朽葉色くちばいろ の法衣を一着した年五十がらみの健康そうな坊さんが、手に念珠ねんじゅ をつまぐりながら、熱心に法話をつづけているのが見える。
「あのお方か・・・・」
と、友時も、見まもった。
近年、吉水のうわさは高い。
叡山えいざん の黒谷を出て、わかりやすく、浄土への導きを説き、易行道いぎょうどう の新しい教義を庶民の中へ持ち出した "時の救い主" としての法然の名を、どこかで耳にしないことはなかった。
── が、友時はついぞそこへ心をひかれたこともなく、その御房を、 のあたりに見るのも今が初めてだった。
「この人が、いま世に聞こえている上人だろうか。ひょっとしたら、お弟子か?」
そう疑われるほど、どこといって、変わりのない、一僧侶いちそうりょ にすぎないように、初めは見えた。
けれど、しばらくその人の法話へ耳をかしているうちに、友時のひとみ にも、そんな賢げに他を探る色はなくなっていった。いつの間にか、彼もここの一世界のかき の中に抱かれていた。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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