木工寮
の時友は、幾日か、わが家にも帰っていない。 用のあるなしにかかわらず、この幽所を離れなかった。旧主重衡しげひら
の押し籠こ められている破れ御堂の中庭をへだてた下屋しもや
の板縁を借りて、終日でも動かない雨蛙あまがえる
のように、ぽつねんと、ただ、かしこまっている。 警固の土肥の家来たちが、その根気よさに、あきれもし、笑いもして、 「守りは、おれどもがしておるし、別べつ
してお声もかかるまいに、なんで物好きにひとり宿直とのい
などしているのか」 と、からかい半分に訊き
くと、友時は、唖おし のように抱いていた感情を、ふと瞼まぶた
に赤くまばたかせて、ぼそりと答えた。 「うけたまわれば、旧主がここにおいである日も、あとわずかとのこと。なんとしてもお名残は尽きません。それに、女童めわらべ
ひとり侍かしず くでもない虜囚とらわれ
のおん身、どんなにお心細いことやら。・・・・てまえはただ、ここのいたいのでいるだけのことでございまする。御警固のお許しもなく近づき参らすようなことは決していたしませぬゆえ、鎌倉へお下くだ
りの朝までは、どうぞ、お置きくださいますように」 こう聞いてからは警護の者も、みな見て見ぬ振りして、ほうっておいた。 「いまは扶持ふち
を受けてもいない旧主なのに ──」 と、友時の心をむしろ不愍ふびん
がった。 朽ちた橋廊下と小坪こつぼ
の枝垂しだ れ桜ざくら
をへだてて、向こう側に、昼も古簾を垂れこめたままな幽所の一間が見えた。友時の方から内は見えないが、内からは友時の姿も見えているだろう。夕寒いころには、まま軽い咳声しわぶき
がそこからもれる。 幽所の掟おきて
をはばかってか、重衡からも、彼を用事で呼ぶことはなかった。けれど 「うれしいぞ」 と、うけとって、無量の思いをしたことではあろう。子飼いから眼をかけた家従や都の知己もずいぶんあったが、日ごろ、ろくに大事にもしてやらなかった召次めしつぎ
の小者に、かえって、こんな実意があろうとは知らなかった。今となって、意外とも、すまないことであったとも、心で詫わ
びているに違いない。 ── 先ごろ、須磨すま
の浜で、源氏に囲まれたときのことも思い出される。乳母子めのとご
の後藤兵衛ごとうひょうえ 守長もりなが
も一緒に落ちていたのだ。ところが、重衡の馬が矢に斃たお
れるや、守長はなおムチを打ちつづけた。馬を失った主人から自分の馬を求められるのを惧おそ
れたのだ。重衡が呼んでも見向きもくれず、年来の主君を捨てて逃げ落ちてしまった。 聞けば、その後藤兵衛ごとうひょうえ
は、近ごろ、尾中法橋おなかのほっきょう
の後家尼ごけあま の許に身を寄せているそうだが、重衡の中将からうけた長年の恩顧を知っている都の者はみな
「── 面つら の皮の厚さよ」
と憎んで、相手にもしないそうである。 そんな人物と友時とを人間的にくらべれば、雲泥うんでい
の相違といってよい。 「まこと、眼のない主人は自分であった」 と、重衡は、下屋しもや
の方を見やるごとに、過去の自分が恥じられた。 |