〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻
2014/01/06 (月)  しま へん しょ (一)

「もう、いつ死のうとも、心残りはない」
右衛 門佐もんのすけつぼね とも、さいごの名残を惜しみ明かして、重衡の心は、なお、静かになっていた。
毎朝、きまって幽室を見舞ってくれる実平に対しても、その朝は、
「自分には、一人の子もないので、さして浮世に思いおくこともないのですが、年ごろ、ちぎ ったかのきみ には、今生こんじょう のまに、いま一度会いたや、とのみ思うていた。しかるに、おん情けによって、その儀もかない、こんな望外な事はない。義経の君へも、どうか、よそながら重衡がかくまでのよろこびを、よしなにお伝えしてくれい」
などとしん みり述懐して、遺言ゆいごん めいた語調であったが、頬は明るく、まったく、覚悟のていであった。
ところが、その日、院の御使いが、突然、彼の幽所へ臨んだ。
使者は、左衛門さえもんの 権佐ごんのすけ 定長さだなが という者で、真っ赤な五位の朝服を着、剣笏けんしゃくたい し、物々しげに、従者をしたがえ、
御諚ごじょう を達します」
と、横柄おうへい に、突っ立ったままで言った。
平家の盛時には、西八条や六波羅の門を、ひょくひょこ、小腰をかがめて、出入りしていた程度の役人である。しかし、ぜひもない、重衡の中将は、こん むら のひたたれの袖を左右に伏せ、折烏帽子おりえぼし の頭を低めに、
「仰せの儀は」
と、謹んだ。
「ほかでもないが、あなたから、御一門の方々へいい送って、三種の神器を、都へお返し奉るように、計らわれたい」
「院の御諚とは、そのことですか」
「いかにも。・・・・なおまた、つつがなく、三種の神器を平家が返し奉るならば、あなたの一命は、助けとらせて、屋島へ帰しやれんとの仰せでもある」
「この身の一命と引き換えに」
「されば、お命をたもちたくば、書状をしたためて、すみやかに神器を奉還あるべしと、御一門へおすすめあるがよい」
「このさい、重衡の一命ごときは、さして重くも思うてはおらぬ。しかし、源平両軍が、世を二つに分けて、このまま、戦いを続けるならば、地上の酸鼻さんび は、はかり知れぬものがある、いくさ だけは、やめねばならぬ」
「では、御承引らの」
「あえて、身をとら われに委したのも、都に出て、なんとか、和議の声をおこ さんと願う心もあってのこと。ましてや、院の御諚とあれば、否み奉るべき理由はない」
「お引請ひきうけ 、かたじけない。院におかせられても、御満足に思し召されよう。では、後刻までに、屋島への御文をしたためておかれるように」
定長は一度、院へ帰った。
そのあとで、重衡は、すずり を引き寄せ。屋島にある母二位どのや平大納言時忠などへ宛てて、細々こまごま と、長い文を書いていた。
もとより、自己の一命に、恋々としている彼ではない。 「死はやすいが、自分にはなお、なさねばならぬ死以上なものがある」 と、誓っていたのである。
平家の罪業ざいごう に対する怨嗟えんさ を少しでもつぐな おうとするのもその現れだし、また身をもって、恭順きょうじゅん を示すなら、自然、院のお考えも変り、源氏方の意志もなご んで、和議の途も見出されてくるのではないか。永劫えいごう復讐ふくしゅう から復讐を繰り返すようなごう の戦いは、なんとしても、止めねばならぬ ── という祈りも、彼をして、
(自分こそは、故清盛の正しい実子、自分のほかに、それをする者はない)
と、考えさせた大きな理由の一つだった。
── で彼は、屋島への文にも、そうした信念をもって筆をとった。従来のいきさつとか、体面とか。源平両族の感情など、一切を捨てて、ひたすら、和を求め給うようにと書いた。兄の宗盛にも、そうすす めたし、母の二位殿への手紙にも、涙と、祈りをこめて書いた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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