「もう、いつ死のうとも、心残りはない」 右衛
門佐もんのすけ ノ局つぼね
とも、さいごの名残を惜しみ明かして、重衡の心は、なお、静かになっていた。 毎朝、きまって幽室を見舞ってくれる実平に対しても、その朝は、 「自分には、一人の子もないので、さして浮世に思いおくこともないのですが、年ごろ、契ちぎ
ったかの君きみ には、今生こんじょう
のまに、いま一度会いたや、とのみ思うていた。しかるに、おん情けによって、その儀もかない、こんな望外な事はない。義経の君へも、どうか、よそながら重衡がかくまでのよろこびを、よしなにお伝えしてくれい」 などと沁しん
みり述懐して、遺言ゆいごん めいた語調であったが、頬は明るく、まったく、覚悟のていであった。 ところが、その日、院の御使いが、突然、彼の幽所へ臨んだ。 使者は、左衛門さえもんの
権佐ごんのすけ 定長さだなが
という者で、真っ赤な五位の朝服を着、剣笏けんしゃく
を帯たい し、物々しげに、従者をしたがえ、 「御諚ごじょう
を達します」 と、横柄おうへい
に、突っ立ったままで言った。 平家の盛時には、西八条や六波羅の門を、ひょくひょこ、小腰をかがめて、出入りしていた程度の役人である。しかし、ぜひもない、重衡の中将は、紺こん
むら濃ご のひたたれの袖を左右に伏せ、折烏帽子おりえぼし
の頭を低めに、 「仰せの儀は」 と、謹んだ。 「ほかでもないが、あなたから、御一門の方々へいい送って、三種の神器を、都へお返し奉るように、計らわれたい」 「院の御諚とは、そのことですか」 「いかにも。・・・・なおまた、つつがなく、三種の神器を平家が返し奉るならば、あなたの一命は、助けとらせて、屋島へ帰しやれんとの仰せでもある」 「この身の一命と引き換えに」 「されば、お命をたもちたくば、書状をしたためて、すみやかに神器を奉還あるべしと、御一門へおすすめあるがよい」 「このさい、重衡の一命ごときは、さして重くも思うてはおらぬ。しかし、源平両軍が、世を二つに分けて、このまま、戦いを続けるならば、地上の酸鼻さんび
は、はかり知れぬものがある、戦いくさ
だけは、やめねばならぬ」 「では、御承引らの」 「あえて、身を囚とら
われに委したのも、都に出て、なんとか、和議の声を興おこ
さんと願う心もあってのこと。ましてや、院の御諚とあれば、否み奉るべき理由はない」 「お引請ひきうけ
、かたじけない。院におかせられても、御満足に思し召されよう。では、後刻までに、屋島への御文をしたためておかれるように」 定長は一度、院へ帰った。 そのあとで、重衡は、硯すずり
を引き寄せ。屋島にある母二位どのや平大納言時忠などへ宛てて、細々こまごま
と、長い文を書いていた。 もとより、自己の一命に、恋々としている彼ではない。 「死はやすいが、自分にはなお、なさねばならぬ死以上なものがある」 と、誓っていたのである。 平家の罪業ざいごう
に対する怨嗟えんさ を少しでも償つぐな
おうとするのもその現れだし、また身をもって、恭順きょうじゅん
を示すなら、自然、院のお考えも変り、源氏方の意志も和なご
んで、和議の途も見出されてくるのではないか。永劫えいごう
に復讐ふくしゅう から復讐を繰り返すような業ごう
の戦いは、なんとしても、止めねばならぬ ── という祈りも、彼をして、 (自分こそは、故清盛の正しい実子、自分のほかに、それをする者はない) と、考えさせた大きな理由の一つだった。 ──
で彼は、屋島への文にも、そうした信念をもって筆をとった。従来のいきさつとか、体面とか。源平両族の感情など、一切を捨てて、ひたすら、和を求め給うようにと書いた。兄の宗盛にも、そう勧すす
めたし、母の二位殿への手紙にも、涙と、祈りをこめて書いた。 |