〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻
2013/12/29 (日) 右 衛 もんの すけつぼね (二)

ここに、三位中将さんみのちゅうじょう の旧臣で、木工允もくのじょう 友時ともとき という侍があった。
その友時は、昨日、重衡の中将が、市中を引きまわされつつ、群集の一部から、石つぶてや泥草鞋どろわらじ を投げつけられ、小八葉こはちよう の車も打ち破らるるばかりな目に遭っていたのを見──
「あな無残、これがつい三、四年前までは、西八条の出入りに、先駆さきが けの騎馬や、車添くるまぞい の百臣に囲まれて、時めき給う公達のおすがたか」
と、面をおおうて、逃げるが如く、家へ帰った。
そして、一晩中、泣き明しでもしたのだろうか。次の日、彼は れぽったい顔をもって、重衡の中将が監禁されている堀川ノ御堂の辺を、うろついていた。
ところへ、ちょうど、土肥実平と供の一群が、義経の許から帰って来た。それを見ると友時は、いきなり物蔭から走り出して、
「お願いの者でござりまする。あわれ、お慈悲をもって、お聞き届け給わりませ」
と、必死な顔つきで、その人の馬前に立ち、そして下へ、ぬかずいてしまった。
土肥の郎党たちが、
「なにやつだ。そこ退 け」
と立ち騒ぐのを制して、実平は、何か仔細しさい があろうと、友時のことばを、自身、訊いてみた。
友時は、こう訴えた。
「てまえは、木工寮もくのりょう の小役人ですが、以前は、三位さんみの 中将殿に仕えておりました者。それも召次めしつぎ の小侍でしたから、いくさ のお供は一度も致しておりません。── とは申せ今日、旧主のおいた ましい有様を見、いても立ってもいられない心地です。せめて、お慰めの一言でも申し上げたいものと、じつは今朝から御幽居をうかごうておりましたものの、警固のきびしさに、ただ、うろうろしていた次第です。どうか、おゆりしくださいませ。よそながら、たとえ寸時のお目通りでも」
嘘いつわりの言えそうな人物ではない。
実平は、許した。彼の腰の刀だけを取り上げさせて、警固の垣の内へ入れてやった。
茫々ぼうぼう と荒れ果てた庭を巡って、友時は、御堂の下へ、そっと寄った。
すると、破れの簾の内から、
「友時ではないか」
と、聞き覚えのある人の声がした。
友時は、われを忘れて、きざはし け上がり、縁の端にひれ伏して、
「変わり果てたおん姿、もう、何からお話申し上げたら、よろしいやら・・・・」
と、ただ眼をぬぐうばかりだった。
重衡も、夢かと、怪しむような眼をみはって。
「やよ友時。どうして、これへは来つる?」
「御警固の実平殿に取りすがって」
「では、やはり土肥殿の情けであったか。さても、そちの姿を見れば、すぐ問いたいが」
「かのきみ さまの御消息でございましょうがの」
「それよ・・・・右衛門佐  え   もんのすけつぼね には、今でも変りのう内裏だいり においやるであろうか」
「しかと、さように、承っておりまする」
「あれほど深うちぎ った男が・・・・と、この重衡を、お心の底で、どのようにうら んでおらるることかと、夜々、思わぬ夜はない」
「以前はよく、お文使いなども仰せつかり、下臈げろう のわたくしなど、ねた ましい思いをいたしたものでございましたが、その後、世がこうなっては、まこと、是非もございませぬ。なんで、かのきみ さまとて、殿をお怨み申し上げましょうか」
「一門の内には、妻子や恋人までたずさ えおうて、西国へ下った者も少なくないのに、重衡はつい、かのきみ にいいおくこともせず、その後の便りすらも送っておらぬ」
「それとて、お心にないのではなく、一門の御浮沈に当って、重きにおわす殿のお立場は、かのきみ さまにも、ようお分かりでございましょう。さっそく、御文おんふみ をしたため遊ばしませ、友時が、お使いをいたしましょうほどに」
「なに。そちが、文使いすると申すか」
「内裏の深くにおわす君、めったに、近づき参らすわけにはゆきませぬが、黄昏たそが れ時、ひそかに、お局の下口しもぐち へ忍び寄って」
重衡はさそっく筆をとった。一別以来の想いを細々こまごま と書きつづって、
「きっと、かのきみ のお返しを、待っているぞ」
と、友時に託した。
警固の武士は、その場を、隙見していたらしく、友時が退 がって来ると 「お預かりした書状を見せよ」 と責め、それを取り上げて、実平の前へ持って来た。
── が、纏綿てんめん たる恋文だったので、実平は笑って返した。
その夕、友時は、内裏の奥へ忍んで、局の下口しもぐち の辺に潜み、右衛 門佐もんのすけ が見えるのを気長に待って、重衡の文をそっと手渡した。
そして 「おん返しを ── 」 と、小坪こつぼ の木蔭に隠れてまた、待っていたが、小蔀こじとみ からもれる灯影の内には、さめざめと忍び泣く声の気配がするだけだった。
が、そのうちに、ようやく、局は返書をしたため終わって、
「このふたとせ ばかりの、明け暮れの苦しさは、筆には尽くしきれぬ。ただ察して べ」
と、死ぬばかりな思慕を、ことばのうえにも、くれぐれ託して、再び、局の内へもどり入るなりそでかず いて泣き伏した。
彼女の返し文も、もちろん、土肥実平の検問の眼にふれた。にお わしい涙のあとや仮名書かなが きの乱れは、男の心をかきむしらずにおかないほど美しい。
しかし坂東武者は、男同士の武功には、ねた みを感じても、こういう恋をうらやましいとはしなかった。むしろ愍笑びんしょう に似た気持で、看過していたばかりでなく、その日、重衡の中将から、願い出たことも、また即座に許した。
やがて、夜も けてから、一りょう の女房車が、御堂の荒れ庭へ、車のまま入って来た。
まろび出るがごとく車を降りた人は、右衛門佐ノ局であった。
深く灯の色をさえ隠した壁代かべしろうち は、何かあや しいまで、ひそやかであった。そしてただ涙に れ合うらしい男女ふたり の短い半夜を、さすが警固の武士も、さまた げはしなかった。いや特に実平からも 「── 遠くにおれ」 と、厳命されていたもののようである。
あたりの白む前に、車は、なお尽きぬ名残の人を乗せて、あかつき の黒いかすみ のかなたへ消えて行った。
彼女は、 き桜町中納言のむすめとか、奈良の民部親範のむすめ とか伝えられている。それすらさだかでないほど、身寄りも少ない淋しい女性であったらしい。もちろん、重衡の中将とは初恋であり、この世で知ったただ一人の男性だった。しかもその人とは、都と西海の遠くに隔てられ、土肥実平の情けによるわずか半夜の再会が、ついに、最後の契りとなってしまった。なぜならば、やがて後日、重衡の中将が、奈良の衆徒の手で斬られたと聞こえたので、彼女も内裏を出て、髪をおろし、その生涯を、山家に隠してしまったからである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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