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重衡の中将ともいわれるお人が、ゆえなく、ただ臆病風
にふかれて生捕いけど られたものとは、義経も初めから思ってはいなかった。 何か、深いわけがあろう。人知れず、心に期するものがあってのことに違いない、と見ていたのである。 で義経は今、土肥実平から、その重衡が親しく彼のもらしたという述懐じゅゆかい
を聞いて、一そう、ひそかな好意を覚えるのだった。 わけて重衡が、自分を裁さば
く良心のきびしさと覚悟の潔きよ
さには一しお心を打たれて 「人の身ではない。われも武門」 と、同じ悩みを悩まずにはいられなかった容子ようす
である。 「・・・・のう、和殿は、どう思うぞ」 義経は自分の考えを、実平の胸にも糺ただ
してみるようにやがて言った。 「言わずとも、平家は積年せきねん
のわれらの宿敵だが、しかし、こんどの合戦にて、初めて、平家というものの相すがた
が、わしにも、ほんとに分かったような気がする」 「平家の相すがた
とは、どういうことを仰せられますのか」 「たとえば、源氏の多い東国にいて、平家といえば、知るも知らぬも、悪逆の一門とのめ、ののしって、その長所も美も、見ようとはせぬ」 「されば、平家を賞ほ
めることなど、東国では、おくびにも出せませぬでの」 「愚衆は、ぜひもないが、義経すらも、平家を憎むの余り、平家といえば、悪逆の巣の如く思いすぎていた傾きがないでもない。が、一ノ谷や、鵯越ひよどりご
えと、生死のちまたに彼らとまみえ、彼らのうちにも、幾多、惜しむべき人びとのあるのを知った。・・・・たとえば、首となって都に曝さら
された九人の公達大将の如き。・・・・また、和殿の手に預けられた重衡の中将殿のような」 「げにも、そのようなお考えにもとづけば、お互いみな人間同士、なかなか、辛つら
いことでございまする」 「世のゆがみや悪政の因は正さねばならず、そのための合戦、ぜひもないが、しかし、平家なればとて、人を憎むべきではなかった」 「なにを、そのように御後悔なされますか」 「首渡しの式なども、今となれば、なさねばよかったと悔やまれるのだ」 「いやいや、平治ノ乱後には、平家も源氏の義朝様を、おなじように扱いました。もし、九郎の殿の思し召しにて、首渡しが行われなんだと鎌倉殿や東国衆へ聞こえたら、おそらくお疑いをかけられましょう」 「とはいえ、平家が世を取れば、源氏の首を曝さら
し、時経て、源氏が世を取ればまた、平家の首を曝し、復讐ふくしゅう
に復讐を繰り返してなど行ったら、人の世は無限の修羅道しゅらどう
ではないか」 「・・・・・・」 反撥しているのか、ひそかな赤面をもったのか、それには実平が何の返辞もしないので、義経は急に言葉の調子を変えた。 「ともあれ、中将殿が身は、ままになるなら、助けても取らせたいが、義経が一存では、いかんともなし難い。せめては、われらの手にお預かり申している間だけでも、なにかと、宥いたわ
ってあげたいものよの」 「お案じなされますな、実平も、そこは心しておりますれば」 「たのむぞ、土肥どの」 と、わがことのように言って ── 「幼時をかえりみれば、わららが生い立ちにも、平家から一つの恩義も受けていなかったとは言い切れぬ。兄の頼朝殿には、年十三の春、平家の手に生捕られ、すでに打ち首となるところを、清盛殿の情けにて、伊豆へ流されたがゆえ、今日に会うこともでき、また、この義経とても同様、生かされて、鞍馬くらま
の稚子ちご としておかれたため、かく一個の男となったる者ぞ。・・・・ああ、奇く
しきかな、世の輪廻りんね 」 と、あくまで多感な彼は、その多感にまかせて、実平が、兄の重臣であることもつい忘れて、繰り返した。 「むかしは、幼きわれら兄弟が助けられ、今は、そのおり、われらを助けおかれた清盛殿の五男、重衡殿が、源氏の檻おり
に生捕いけど り人となって引かれて来たのだ。・・・・今昔こんじゃく
の想いにたえぬは、義経だけの痴夢ちむ
であろうか。心なき者とて、いささかの温情はその人へ酬うであろう。院の御意向、鎌倉殿へのお聞こえなど、もとよりはばからねばならぬが、このうえとも、義経に代って、何かとお庇かば
い申し上げよ」 |