〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻
2013/12/29 (日) 右 衛 もんの すけつぼね (一)

── 重衡の中将ともいわれるお人が、ゆえなく、ただ臆病風おくびょうかぜ にふかれて生捕いけど られたものとは、義経も初めから思ってはいなかった。
何か、深いわけがあろう。人知れず、心に期するものがあってのことに違いない、と見ていたのである。
で義経は今、土肥実平から、その重衡が親しく彼のもらしたという述懐じゅゆかい を聞いて、一そう、ひそかな好意を覚えるのだった。
わけて重衡が、自分をさば く良心のきびしさと覚悟のきよ さには一しお心を打たれて 「人の身ではない。われも武門」 と、同じ悩みを悩まずにはいられなかった容子ようす である。
「・・・・のう、和殿は、どう思うぞ」
義経は自分の考えを、実平の胸にもただ してみるようにやがて言った。
「言わずとも、平家は積年せきねん のわれらの宿敵だが、しかし、こんどの合戦にて、初めて、平家というもののすがた が、わしにも、ほんとに分かったような気がする」
「平家のすがた とは、どういうことを仰せられますのか」
「たとえば、源氏の多い東国にいて、平家といえば、知るも知らぬも、悪逆の一門とのめ、ののしって、その長所も美も、見ようとはせぬ」
「されば、平家を めることなど、東国では、おくびにも出せませぬでの」
「愚衆は、ぜひもないが、義経すらも、平家を憎むの余り、平家といえば、悪逆の巣の如く思いすぎていた傾きがないでもない。が、一ノ谷や、鵯越ひよどりご えと、生死のちまたに彼らとまみえ、彼らのうちにも、幾多、惜しむべき人びとのあるのを知った。・・・・たとえば、首となって都にさら された九人の公達大将の如き。・・・・また、和殿の手に預けられた重衡の中将殿のような」
「げにも、そのようなお考えにもとづけば、お互いみな人間同士、なかなか、つら いことでございまする」
「世のゆがみや悪政の因は正さねばならず、そのための合戦、ぜひもないが、しかし、平家なればとて、人を憎むべきではなかった」
「なにを、そのように御後悔なされますか」
「首渡しの式なども、今となれば、なさねばよかったと悔やまれるのだ」
「いやいや、平治ノ乱後には、平家も源氏の義朝様を、おなじように扱いました。もし、九郎の殿の思し召しにて、首渡しが行われなんだと鎌倉殿や東国衆へ聞こえたら、おそらくお疑いをかけられましょう」
「とはいえ、平家が世を取れば、源氏の首をさら し、時経て、源氏が世を取ればまた、平家の首を曝し、復讐ふくしゅう に復讐を繰り返してなど行ったら、人の世は無限の修羅道しゅらどう ではないか」
「・・・・・・」
反撥しているのか、ひそかな赤面をもったのか、それには実平が何の返辞もしないので、義経は急に言葉の調子を変えた。
「ともあれ、中将殿が身は、ままになるなら、助けても取らせたいが、義経が一存では、いかんともなし難い。せめては、われらの手にお預かり申している間だけでも、なにかと、いたわ ってあげたいものよの」
「お案じなされますな、実平も、そこは心しておりますれば」
「たのむぞ、土肥どの」
と、わがことのように言って ──
「幼時をかえりみれば、わららが生い立ちにも、平家から一つの恩義も受けていなかったとは言い切れぬ。兄の頼朝殿には、年十三の春、平家の手に生捕られ、すでに打ち首となるところを、清盛殿の情けにて、伊豆へ流されたがゆえ、今日に会うこともでき、また、この義経とても同様、生かされて、鞍馬くらま稚子ちご としておかれたため、かく一個の男となったる者ぞ。・・・・ああ、 しきかな、世の輪廻りんね
と、あくまで多感な彼は、その多感にまかせて、実平が、兄の重臣であることもつい忘れて、繰り返した。
「むかしは、幼きわれら兄弟が助けられ、今は、そのおり、われらを助けおかれた清盛殿の五男、重衡殿が、源氏のおり生捕いけど り人となって引かれて来たのだ。・・・・今昔こんじゃく の想いにたえぬは、義経だけの痴夢ちむ であろうか。心なき者とて、いささかの温情はその人へ酬うであろう。院の御意向、鎌倉殿へのお聞こえなど、もとよりはばからねばならぬが、このうえとも、義経に代って、何かとおかば い申し上げよ」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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