もと、中御門
家成のいた跡に、家成の建てた堀川ノ御堂というのがある。 重衡は。そこの入れられ、昼夜の番、食事など一切、つづいて土肥実平が勤めることになった。 「なんぞ、御不自由な儀か、お望み事でもあらば、遠慮なく、それがしまで、仰せくだされい。──
九郎義経の君にも、蔭ながら、お宥り申したいお気持でおられますゆえ」 その晩、実平は、食事の後で、そこの幽室へ、そっと話に行った。 「いや、何かと、九郎の殿のおいたわり、過分なと、思うております」 重衡は、中薄藤色うすふじいろ
の大口おおぐち に、無色に近い地味な狩衣かりぎぬ
を着、昼、車の内にあった時も今も、何の変わりもない姿で端坐していた。 「今日、大路を渡さるるあのあの間は、さだめし、われらまでが、獄卒に見え、人びとの心なきののしりや石つぶてなど、身にも心にも、お辛つら
かったでございましょうな」 実平が言うと、灯影に隈くま
どられた横顔が、幽かす かに微笑して、 「なんの、都に引かれて参るからには、あれくいらいな呵責かしゃく
、面罵めんば の辱しめは、もとより覚悟の前でした」 「ほ。・・・・お覚悟とな」 「天も人も、理由なく怒るはずはありません。東大寺大仏殿を焼き払い、南都の僧俗をあまた死なせた罪業/rb>ざいごう
は、たしかに、平家が犯した悪業/rb>あくごう
の一つにちがいないでのう・・・・」 「・・・・で、じっと、御堪忍なされましたか」 「いやいや、そのような気持とは、またちがう」 「では、どういう?」 「はははは、申しても、ぜひなかろうに」 「おさしつかえなくば、お胸の内のもの、ぜひ伺わせていただきたい」 「──
こう申せば、いいわけがましゅう聞こえようが、南都焼討ちの挙/rb>きょ
も、決して、わが亡父ちち 入道清盛殿の御命ぎょめい
でもなければ、また、重衡の指揮でもない。── 当時、事ごとに平家に逆らい、武力さえ持って、六波羅を襲わんとする気配のあったゆえ、先せん
を越して、彼らを懲こ らしめんとしたまでのこと」 「・・・・・・」 「が、怖おそ
るべきは、衆愚の勢い、それが、兵というものぞ。加うるに、その夜は強風烈しく、あれよと、あきれ騒ぐ間に、興福寺、東大寺、あの大毘だいひ
盧遮那仏るしゃなぶつ までを、すべて焔ほのお
にくるんでしもうた・・・・」 「では、あなたが、焼き払わせたわけではないので」 「いやいや、重衡、それを申すのではない。── 平家の罪業ざいごう
は、諸人の責めるところ、平家の罪は、重衡にある。── 不肖なれど、重衡こそは、入道清盛殿の五男、一門の罪を身に受け、万人の誹そし
りと、天下の辱めを蒙こうむ るは、身の本望と申すもの・・・・」 「なに、御本望とや」 「おお、白昼の大路に曝さら
されて、人びとの唾つば を浴びれば、それも、平家の犯せる罪業消滅ざいごうしょうめつ
の一ツにならんか。── 石つぶての一ツだに身にあたれば、うれしや、それによって、一門の罪の一分いちぶ
なりとも消解しょうげ し得んか。──
泥の草鞋わらじ を抛なげう
たるれば、あらありがたし、積年のわが一門への人びとの怨うら
みも、それにて、いさいささかなりと、晴れもせんか。 ・・・・そう心にて思うがゆえ、辛つら
いなどとは、ゆめ思わぬ。このうえとも、人びとの憎しみと、あらゆる辱しめにあい、平家の罪業の償つぐな
いを、重衡の身一つにうけてゆきたいと思うのにぞや・・・・」 「はて、きびしいお心よの」 実平は、そう聞いて、ただただ、沈黙のほかはなかった。東国育ちの武辺には、何か、理解のほかのような気がして、
「平家人びと の心の底には、何か分からぬものがある」
と思った。 そして、このことを、次の日、何かの報告がてら、義経に話すと、義経は頸うなじ
をふかく垂れて聞き入りながら、「さもあろう、さもなくば・・・・」 と、ひとりうなずき顔だった。 |