〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻
2013/12/27 (金)  はち よう (二)

もと、中御門なかみかど 家成のいた跡に、家成の建てた堀川ノ御堂というのがある。
重衡は。そこの入れられ、昼夜の番、食事など一切、つづいて土肥実平が勤めることになった。
「なんぞ、御不自由な儀か、お望み事でもあらば、遠慮なく、それがしまで、仰せくだされい。── 九郎義経の君にも、蔭ながら、お宥り申したいお気持でおられますゆえ」
その晩、実平は、食事の後で、そこの幽室へ、そっと話に行った。
「いや、何かと、九郎の殿のおいたわり、過分なと、思うております」
重衡は、中薄藤色うすふじいろ大口おおぐち に、無色に近い地味な狩衣かりぎぬ を着、昼、車の内にあった時も今も、何の変わりもない姿で端坐していた。
「今日、大路を渡さるるあのあの間は、さだめし、われらまでが、獄卒に見え、人びとの心なきののしりや石つぶてなど、身にも心にも、おつら かったでございましょうな」
実平が言うと、灯影にくま どられた横顔が、かす かに微笑して、
「なんの、都に引かれて参るからには、あれくいらいな呵責かしゃく面罵めんば の辱しめは、もとより覚悟の前でした」
「ほ。・・・・お覚悟とな」
「天も人も、理由なく怒るはずはありません。東大寺大仏殿を焼き払い、南都の僧俗をあまた死なせた罪業/rb>ざいごう は、たしかに、平家が犯した悪業/rb>あくごう の一つにちがいないでのう・・・・」
「・・・・で、じっと、御堪忍なされましたか」
「いやいや、そのような気持とは、またちがう」
「では、どういう?」
「はははは、申しても、ぜひなかろうに」
「おさしつかえなくば、お胸の内のもの、ぜひ伺わせていただきたい」
「── こう申せば、いいわけがましゅう聞こえようが、南都焼討ちの挙/rb>きょ も、決して、わが亡父ちち 入道清盛殿の御命ぎょめい でもなければ、また、重衡の指揮でもない。── 当時、事ごとに平家に逆らい、武力さえ持って、六波羅を襲わんとする気配のあったゆえ、せん を越して、彼らを らしめんとしたまでのこと」
「・・・・・・」
「が、おそ るべきは、衆愚の勢い、それが、兵というものぞ。加うるに、その夜は強風烈しく、あれよと、あきれ騒ぐ間に、興福寺、東大寺、あの大毘だいひ 盧遮那仏るしゃなぶつ までを、すべてほのお にくるんでしもうた・・・・」
「では、あなたが、焼き払わせたわけではないので」
「いやいや、重衡、それを申すのではない。── 平家の罪業ざいごう は、諸人の責めるところ、平家の罪は、重衡にある。── 不肖なれど、重衡こそは、入道清盛殿の五男、一門の罪を身に受け、万人のそし りと、天下の辱めをこうむ るは、身の本望と申すもの・・・・」
「なに、御本望とや」
「おお、白昼の大路にさら されて、人びとのつば を浴びれば、それも、平家の犯せる罪業消滅ざいごうしょうめつ の一ツにならんか。── 石つぶての一ツだに身にあたれば、うれしや、それによって、一門の罪の一分いちぶ なりとも消解しょうげ し得んか。── 泥の草鞋わらじなげう たるれば、あらありがたし、積年のわが一門への人びとのうら みも、それにて、いさいささかなりと、晴れもせんか。
・・・・そう心にて思うがゆえ、つら いなどとは、ゆめ思わぬ。このうえとも、人びとの憎しみと、あらゆる辱しめにあい、平家の罪業のつぐな いを、重衡の身一つにうけてゆきたいと思うのにぞや・・・・」
「はて、きびしいお心よの」
実平は、そう聞いて、ただただ、沈黙のほかはなかった。東国育ちの武辺には、何か、理解のほかのような気がして、 「平家びと の心の底には、何か分からぬものがある」 と思った。
そして、このことを、次の日、何かの報告がてら、義経に話すと、義経はうなじ をふかく垂れて聞き入りながら、「さもあろう、さもなくば・・・・」 と、ひとりうなずき顔だった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
Next