〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻
2013/12/27 (金)  はち よう (一)

首渡しの行われた翌十四日には、生捕人いけどりにん本三位中将ほんざんみのちゅうじょう重衡しげひら が、都大路を引きまわされた。
重衡の身は、前日まで、
「院の御命を相待つべし」
とあって、羅生門外の一民家に、きびしく監禁されていたが、同日、土肥実平が、沙汰書さたしょ をたずさえて来て、
「お心はすすむまいが、洛中の御宿所も定められ申した。いで、まか られよ」
と、車をすすめ、守護の兵を、敷き並べたものだった。
「大儀です」
重衡しげひら は、悪びれもせず、すぐくつ をはいて、車へ近づいた。
いつ、どんな所に置かれても、この人は、身だしなみを怠ったことがない。この日も、薄化粧さわやかに、与えられた小八葉こはちよう牛車くるま に乗った。
わざと、車の前後の簾を揚げ、左右の物見 (小窓) も開いてある。
往来の人びとの眼にさらさせるためであることは言うまでもない。
土肥次郎実平は、木蘭地もくらんじ の直垂に、小具足姿で、騎馬だった。徒士かち 数十人に車を囲ませ、
「それ、牛を打て」
と、羅生門から洛中へ引き入れた。
朱雀すざく から、七条、五条、そして河原の辺りまでも、男女の人垣がたえなかった。
「あな、いとおし、変わり果てたお姿よ」
という者もあり、
「どうして、この君ひとりだけが、生捕いけど られて、都の中に、生き恥をさらし給うのか」
と、重衡の心を疑って、くちおしげに見るのもある。
とにかく、衆口はさまざまである。ゆい昨日、一門の首渡しを見ていた人びとだけに、重衡への同情はまったくなく、いとど冷たい眼で見られた。
「なんと、もの欲しげな人の薄ら寒げなお命かな」
と、わざと、小八葉こはちよう の車の内へ、聞こえよがしに言い放つ者さえあった。
いや、それらは、まだよい方で、車が、六条坊門の辻を西へ引っ返して来ようとすると、バラバラと、どこからともなく、石つぶてが飛んで来た。
実平は、驚いて、
「しゃつ、何をするか」
と、群集の一角を、にらみつけた。
人垣の中に隠れて、小石を拾いぬいていた法師どもは、彼の一喝いっかつ に、影をひそめたが、同様なことは、行く先々で起こった。
土を投げ、草鞋わらじ を投げ込み、中には、車へつば して逃げ去る者もある。
それが、多くは、僧侶そうりょ なのだ。
彼らが、口々にののしるのを聞けば、治承四年の冬、西八条が奈良攻めを断行したさい、東大寺の大仏殿を焼き、数千の僧俗を殺したときの大将こそは、今日の捕虜ほりょ 、中将重衡ではないか。
重衡の中将こそは、引きまわしはおろか、八ツ裂き、鋸引のこぎりび きにしても、あお飽きたらない仏教の敵、魔軍の張本人である、というのであった。
「さては、積年のうら みか」
土肥実平すら、慄然りつぜん とした。途中で初めて、それに思い至ったのである。
それのしても今、平家への復讐ふくしゅう と、はずかし めとを、身ひとつに集めて、都大路を白昼、さらし者にされて行く重衡の心はどんなか。
おなじ、もののふとして、実平は思いやらずにはいられない。
実平は、そっと、重衡の横顔をながめた。
しかし、車の内の人は、ほとんど、それに感情を揺られていないかのように静かであった。石つぶてに触れたのだろうか、蒼白そうはく な横顔の耳から下の辺に血がすこしたれ れて見える。そのほか、姿の線は、どこも崩れてはいなかった。平常の人のままであった。
「やよ、大事な預かりびと 、怪我さすな者ども」
実平は、自身のこま を、車の横へつけて、余りな辱しめや、無法な人びとの狼藉ろうぜき を防ぎながら、大路を渡した。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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