〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻
2013/12/22 (日) ろう  しゅう (二)

義経は、ひそかに、重衡へ、同情をよせていた。
庄ノ三郎忠家に捕われて、源氏の陣所へ引かれて来たときは、単に、 「可惜あたら 、一門の名だたるお人にありながら、命惜しみて、生き恥をさらし給うものかな」 と、さげす まれただけのものだったが、その挙止きょし や言語など、人柄に接しているうちに、
「さすがは、平相国へいしょうこく の五男の君」
と、ゆかしく見られ、
「何か、心に期するところがあって、生きはじ にも耐えんと、捕われたものではないか」
と、思われるふしもあった。
扱いのうえに、いたわ りを示すばかりでなく、義経は、親しく重衡の幽所を訪うて、何かと、私的な話なども交えて、その牢愁ろうしゅう を慰めていたのである。
重衡も、この人の温情を深く徳としたにちがいない。義経から、敦盛の首を見せられて、そのたれなるかを、問われれば、正直にすぐ涙のまぶた となって、
「こはこれ、わが叔父にあたる参議経盛卿の乙子おとご (末子) にて、無官大夫むかんのたいふ 敦盛あつもり に相違なし、添えたる遺物かたみ の笛は、日ごろより肌身に持ちて でいたる “小枝さえだ ” と銘のある笛にや候わん」
と、答えた。
実は義経も 「あつもりの君か?」 とは、うすうす、感じていたのである。けれど、都の夜の辻で、しかも女房衣を打被うちかず いていた姿をただ一度、路傍で見ただけの記憶なので、念のため、ただ してみたものであった。
── で、それらの記憶や、重衡の言葉を、その夜、小酒盛の間に、彼が熊谷に話してやると、熊谷も小ひざを打って、こう言った。
「さてこそ、思い出さるる一儀がございまする。── さるお人とも知らず、それがしが、敦盛卿を組み敷いて、お首をかかんといたしたとき、刃の下にて ── なんじは九郎の殿の家来か、義経殿の手勢に討たるるならば本望なれ ── と、末期まつご の声で申されましたが」
「なに。・・・・本望と?」
「はい」
「では、敦盛卿にも、ひそかに、わが名を、心に抱いていたのであろうか」
「と、みえまする」
右大弁うだいべん 殿どの の姫ぎみの許へ忍ばれた夜、おりふし、義経の眼にかかり、平家の公卿とは分かっていたが、捕えても何かせんと、わざと逃がしてやったが・・・・。それを恩義にでも思うていたものか」
すると、かたわらの郎党たちも、こもごも、当時を思い出して言いあった。
「おそらく、敦盛卿のお心では、同じ討たるるものならば、源九郎ぎみ のお手に・・・・とねが っていたのではおざるまいか」
「それに違いない。・・・・都の辻では、すんでに、捕われの身となるところを、わが君のお情けで、摂津の渡辺まで見送られて行き、途々みちみち でもその御温情を、繰り返し、繰り返し、申していたことでもあるし」

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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