かたのように、首は、将座の実検に供えられたが、平家一門のうちの、いかなる公達
の首であるのか、源氏の諸将はもとより、討ち取った当とう
の熊谷直実からして、 「どう、問うても、さいごまで、名乗り申さぬ敵でありましたので」 と、冴さ
えぬ答えで、かんじんな、それを知ってはいなかった。 しかし、義経は、熊谷の浮かぬ容子を見あわせて、強いては詮索せんさく
もしなかった。 「いずれ、首は都へ上のぼ
すゆえ、多くの都人が見れば、すぐたれなるや知れるであろう」 と、つぶやいて、祐筆ゆうひつ
の者をかえりみ、 「首帳には、ただ、公達首きんだちくび
一ツと記しおけばよからん」 とだけ言ってすませた。 いかに敵の大物らしく思われても、氏名が明らかならぬものは “拾い首” 同様、軍功帳の特筆にはならないのである。人びとは
「またしても、熊谷どのの首尾の悪さよ」 と憐あわ
れむもあり、ひそかに失笑する者もあった。 熊谷はいちど引き退って、附近の松原のあいだに幕舎を結んだ。そして兵とともに、その夜は眼むったが、翌晩、更ふ
けてから、また、にわかに迎えをうけて、 「何事のお召しでしょうか」 と、義経の前へ来て、ぬかずいた。 左右には昨日いた諸将の顔もすべて見えない。直属の郎党ばかりで、いつになく水入らずの様子だった。軍幕とばり
の内に、松落葉などかきあつめ、小さな焚た
き火を囲いあって、主従、団欒まどい
のような睦むつ まじさである。 見れば、一同楯たて
を敷いて、めずらしく、小酒盛のおりらしく、義経も杯を手に持っていた。 熊谷を見ると、義経は、へだてなく、楯たて
の一座を分け与えて、 「昨夜は、数日来の疲れもあれば、一気に熟睡したであろうが、こよいはいかがあらんと、深更だが、わざと迎えにやったのだ。くつろいで飲むがよい」 と、かたわらの那須大八郎に、瓶子へいし
を取らせた。 熊谷は初めて、人心地を味わうように、杯を押しいただいた。 「ときに、熊谷どの」 義経は、宥いたわ
るいうな眼でその姿を見やりながら ── 「昨日、御辺が須磨すま
の浜戦はまいくさ にて討ったる人のお首、そのたれなるかが、ようやく今日、相分かった。それも御辺に、聞かせばやと思う呼んだわけだが」 「や。・・・・お分かりに相なりましたか」 「されば、今この陣中にある捕虜とらわ
れの平家の大将に、あの首級しるし
を見せて問うたところ、はらはらと落涙に及び、あわれ叔父の子もか ── とつぶやかれた」 「では、重衡しげひら
の中将どのが御覧あって、叔父の子と申されましたか」 熊谷もまた他の人びとも、かなたの林間の幽かす
かな灯影へ、思わず眼を向けた。 庄ノ三郎の手に生捕いけど
られた本三位中将ほんざんみのちゅうじょう
重衡しげひら は、昨日から、ここの荒れ朽ちた一堂へ、移されていた。 義経の情けで、縄目なわめ
にもかけられず、鄭重ていちょう
にされてはいたが、昼夜なく、番の兵士も立っている。── 星もるる破れ屋根の床ゆか
に、どんな夢心地におわすやらと、敵の虜将りょしょう
ながら、おたがい武門の身、思いやらずにはいられぬものがたれにもあった。 |