〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻
2013/12/20 (金) がい した に も (三)

と、言っても。
彼らは、主の義経と、影と形のように、離れたことは寸時もない。
鵯越えから、ここまでの血路も、一つだった。義経の馬前を行き、殿軍しんがり をし、どこのどんな郎党よりも、烈しい奮戦を通っていった。けれど、彼らの仲間では、平家方の大将首一つ挙げたという者はいないのである。
── それでよいのだ
と、義経の眼は、彼らへ言っているようだった。しかし、彼らとしては、淋しくないこともない。
わけて武蔵坊の面構つらがま えは、至極おもしろくないものに見える。何かを き出しているようだった。義経は、ふと、その顔を眼に拾って、
「弁慶 ──」 と、前へ呼び出し、
「おことには、よい役目と思う。ともがら を誘うて、これより直ちに、諸方の戦場を見歩き、敵味方の死骸しがい を拾うて、ねんごろの弔いせよ。人手がなくば、土地ところ の者の手を借るもよいぞ」
と、いいつけた。
「心得まいた」
弁慶と、彼の仲間たちは、鈍重な足つきで、義経のまわりから立って行った。
それを見ていた畠山重忠や、土肥実平などは、ひそかに 「・・・・気の毒な」 とも言いたげなまな ざしだった。いかに鎌倉殿への気づかいや、直参諸将との和のためといえ、自身の手足たる郎党たちを、九郎の殿には、少し下風におき過ぎるのではないかと思った。
すると、平山李重ひらやますえしげな が、ふと、
「かなたから来るのは、熊谷殿ではないか。手勢も伴わず、ただ一人で」
と、木の間に立って、指さした。
「いや、熊谷どのの手勢は、子息小次郎どのが を負うたため、早くに西木戸を退き、すでにお旗もとの近くにあるはず」
という者もあった。
平山がそれを知らないはずはない。宇治川以来、熊谷とは、無言のうちに、武勲を争いあっていた味方同士の敵手なのだ。
「そうか。・・・・さすがあの剛毅ごうき な男も、子息の手傷に、心も浮かぬものとみえる。かたがた、西木戸での退陣は、近ごろのぶざま、熊谷らしくもないことであったし」
そばに居合わせた者へ平山は言ったのである。けれど、たれへも聞こえるほどだったし、熊谷と彼との、いきさつを知る人びとには、その口うらを苦々にがにが しく思わずにいられなかった。
義経もそれはすぐに感じたろう。こういうものが、彼をして、彼の直属の郎党を、何事にも、控え目にさせているのだとは、たれも察しる様子はない。
まもなく、とう の熊谷直実は、来迎寺の三問跡に、馬をつなぎ、黙々と、ここへ通って来た。
そして、並居なみい る諸将とも、微笑すら交わさず、義経の前へ来てひざまずいた。
人びとは、やがて彼が、うやうやしく差し出した物を見て、固唾かたず をのんだ。意外なと、ねた ましげに見る眼や、羨望せんぼう に燃える眼いろだった。
薄化粧した公達の首と、にしき の袋に入った横笛とが見られたのである。一見して、平家一門でも、ただひと のものでないことが、たれにも分かった。
「・・・・・・」
けれど熊谷一人は、ものも言わず、ただ、分厚い背をかがめて、それを義経の実検に供え、平伏しているだけだった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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