と、言っても。 彼らは、主の義経と、影と形のように、離れたことは寸時もない。 鵯越えから、ここまでの血路も、一つだった。義経の馬前を行き、殿軍
をし、どこのどんな郎党よりも、烈しい奮戦を通っていった。けれど、彼らの仲間では、平家方の大将首一つ挙げたという者はいないのである。 ── それでよいのだ と、義経の眼は、彼らへ言っているようだった。しかし、彼らとしては、淋しくないこともない。 わけて武蔵坊の面構つらがま
えは、至極おもしろくないものに見える。何かを剥む
き出しているようだった。義経は、ふと、その顔を眼に拾って、 「弁慶 ──」 と、前へ呼び出し、 「おことには、よい役目と思う。輩ともがら
を誘うて、これより直ちに、諸方の戦場を見歩き、敵味方の死骸しがい
を拾うて、ねんごろの弔いせよ。人手がなくば、土地ところ
の者の手を借るもよいぞ」 と、いいつけた。 「心得まいた」 弁慶と、彼の仲間たちは、鈍重な足つきで、義経のまわりから立って行った。 それを見ていた畠山重忠や、土肥実平などは、ひそかに
「・・・・気の毒な」 とも言いたげな眼まな
ざしだった。いかに鎌倉殿への気づかいや、直参諸将との和のためといえ、自身の手足たる郎党たちを、九郎の殿には、少し下風におき過ぎるのではないかと思った。 すると、平山李重ひらやますえしげな
が、ふと、 「かなたから来るのは、熊谷殿ではないか。手勢も伴わず、ただ一人で」 と、木の間に立って、指さした。 「いや、熊谷どのの手勢は、子息小次郎どのが傷て
を負うたため、早くに西木戸を退き、すでにお旗もとの近くにあるはず」 という者もあった。 平山がそれを知らないはずはない。宇治川以来、熊谷とは、無言のうちに、武勲を争いあっていた味方同士の敵手なのだ。 「そうか。・・・・さすがあの剛毅ごうき
な男も、子息の手傷に、心も浮かぬものとみえる。かたがた、西木戸での退陣は、近ごろのぶざま、熊谷らしくもないことであったし」 そばに居合わせた者へ平山は言ったのである。けれど、たれへも聞こえるほどだったし、熊谷と彼との、いきさつを知る人びとには、その口うらを苦々にがにが
しく思わずにいられなかった。 義経もそれはすぐに感じたろう。こういうものが、彼をして、彼の直属の郎党を、何事にも、控え目にさせているのだとは、たれも察しる様子はない。 まもなく、当とう
の熊谷直実は、来迎寺の三問跡に、馬をつなぎ、黙々と、ここへ通って来た。 そして、並居なみい
る諸将とも、微笑すら交わさず、義経の前へ来てひざまずいた。 人びとは、やがて彼が、うやうやしく差し出した物を見て、固唾かたず
をのんだ。意外なと、嫉ねた ましげに見る眼や、羨望せんぼう
に燃える眼いろだった。 薄化粧した公達の首と、錦にしき
の袋に入った横笛とが見られたのである。一見して、平家一門でも、ただ人ひと
のものでないことが、たれにも分かった。 「・・・・・・」 けれど熊谷一人は、ものも言わず、ただ、分厚い背をかがめて、それを義経の実検に供え、平伏しているだけだった。 |