〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/12/15 (日) しげ ひら いけ ら れ (一)

本三位中将ほんざんみのちゅうじょう 重衡しげひら は、知盛と同じ生田の副将軍であった。
彼もまた、乱軍の中に行き ぐれ、手勢も失って、乳母の子の後藤兵衛ごとうひょうえ 守長もりなが と、たった二騎で、逃げ走っていた。
知盛の弟であり、故入道清盛の五男という、ゆゆしい君だけあって、浪千鳥なみちどり直垂ひたたれ に、むらさき裾濃すそごよろい鍬形くわがた のかぶと、そして太刀も黄金こがねくら金覆輪きんぷくりん 、馬は童子どうじ 鹿毛かげ という逸物いちもつ であった。まことに、美しくはあるが、深園の名禽めいきん が、逃げ惑うような弱々とした姿であった。
湊川を渡り、刈藻川も一散に越えて、
「駒ヶ林の味方の船へ」
と、急ぐらしかったが、 けまわして来た源氏の二将にさえぎられ、余儀なく、須磨ノ浦から明石へさして、まぎ れ落ちて行った。
すると、その途中、童子どうじ 鹿毛かげ は矢に当たって、重衡の身は、磯松の間へ、ほうり出された。
「しまった。守長守長。── 待たぬか、守長」
重衡は、そ知らぬ顔して駆けて行く乳人子めのとご の守長へ、
「主の難を見ながら、一人でいずこへ落ちるぞ。日ごろのあるじを見捨てる心か」
と、大声で言った。しかし、守長は、振り向きもしなかった。一そう馬腹にムチをくれて、ただひとり雲を霞と逃げてしまった。もう覚悟のほかはない。
重衡は、波打ち際に立って、海を見た。 「身を投げんか」 と思うらしかった。けれど、この辺りは遠浅で、ひと思いに、身を沈められそうもない。
その時、後ろで、敵将の声がした。
「それにおわすは、三位中将の君と見奉る。 しゅうは仕りますまい。御観念あって、それがしの駒へ身をお託し遊ばされい。庄ノ三郎忠家が、いずこまでも、おん供申し上げましょうほどに」
「・・・・・・」
振り向いて、重衡はじっと、その武将を見た。
忠家は、この大獲物を前にして、燃ゆるばかりな眼光だったが、重衡の には、あきらめの色のほか、何も見られなかった。やがて重衡は、その公家風な口髭くちひげ の辺に、今は逃れえない運命を直視するかの如く冷やかなかげ をちらと見せ、
「・・・・ぜひもない。いざ、ひかれよ」
と、かすれた声で、自分をわら う如く言った。
忠家は、自分の馬へ、生捕いけど りの三位中将を乗せ、自分は更馬かえうま を求めてまた り、意気揚々と、味方の陣へ連れて行った。
さてまた。その忠家に、庄ノ四郎高家という弟がある。
郷土は、武蔵国の本庄で、児玉党の嫡家の子たちであるが、弟の四郎高家は、木曾義仲に随身していた。
兄は義経に従って、都へはいり、弟は、木曾の麾下きか にいたわけである。
あの弟のこと、降参せよといっても、きくはずはあるまい。必ずや、討死をこころざして、陣頭に立つことだろう。そう、兄の忠家は察していた。
果たして、その通りな弟の姿を、戦場で見つけた。で忠家は、大勢の郎党とともに、弟を組み伏せ、生捕りとして、義経の前へひいて行った。
義経にさとされて、高家もついに、降伏を誓った。それ以来、兄弟ともに義経の麾下きか にしたがい、今朝の鵯越えにも、真っ先を駆けていたのである。
ちょうど、兄の忠家が、須磨ノ浦のあたりで、三位中将を生捕りしていたころ、弟の四郎高家も、明石の東、大蔵谷とよぶ所で、平家の内でも名だたる大将を討ち取っていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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