本三位中将
重衡しげひら は、知盛と同じ生田の副将軍であった。 彼もまた、乱軍の中に行き迷は
ぐれ、手勢も失って、乳母の子の後藤兵衛ごとうひょうえ
守長もりなが と、たった二騎で、逃げ走っていた。 知盛の弟であり、故入道清盛の五男という、ゆゆしい君だけあって、浪千鳥なみちどり
の直垂ひたたれ に、むらさき裾濃すそご
の鎧よろい 、鍬形くわがた
のかぶと、そして太刀も黄金こがね
、鞍くら も金覆輪きんぷくりん
、馬は童子どうじ 鹿毛かげ
という逸物いちもつ であった。まことに、美しくはあるが、深園の名禽めいきん
が、逃げ惑うような弱々とした姿であった。 湊川を渡り、刈藻川も一散に越えて、 「駒ヶ林の味方の船へ」 と、急ぐらしかったが、尾つ
けまわして来た源氏の二将にさえぎられ、余儀なく、須磨ノ浦から明石へさして、紛まぎ
れ落ちて行った。 すると、その途中、童子どうじ
鹿毛かげ は矢に当たって、重衡の身は、磯松の間へ、ほうり出された。 「しまった。守長守長。──
待たぬか、守長」 重衡は、そ知らぬ顔して駆けて行く乳人子めのとご
の守長へ、 「主の難を見ながら、一人でいずこへ落ちるぞ。日ごろのあるじを見捨てる心か」 と、大声で言った。しかし、守長は、振り向きもしなかった。一そう馬腹にムチをくれて、ただひとり雲を霞と逃げてしまった。もう覚悟のほかはない。 重衡は、波打ち際に立って、海を見た。
「身を投げんか」 と思うらしかった。けれど、この辺りは遠浅で、ひと思いに、身を沈められそうもない。 その時、後ろで、敵将の声がした。 「それにおわすは、三位中将の君と見奉る。悪あ
しゅうは仕りますまい。御観念あって、それがしの駒へ身をお託し遊ばされい。庄ノ三郎忠家が、いずこまでも、おん供申し上げましょうほどに」 「・・・・・・」 振り向いて、重衡はじっと、その武将を見た。 忠家は、この大獲物を前にして、燃ゆるばかりな眼光だったが、重衡の眸め
には、あきらめの色のほか、何も見られなかった。やがて重衡は、その公家風な口髭くちひげ
の辺に、今は逃れえない運命を直視するかの如く冷やかな翳かげ
をちらと見せ、 「・・・・ぜひもない。いざ、ひかれよ」 と、かすれた声で、自分を嘲わら
う如く言った。 忠家は、自分の馬へ、生捕いけど
りの三位中将を乗せ、自分は更馬かえうま
を求めて跨また り、意気揚々と、味方の陣へ連れて行った。 さてまた。その忠家に、庄ノ四郎高家という弟がある。 郷土は、武蔵国の本庄で、児玉党の嫡家の子たちであるが、弟の四郎高家は、木曾義仲に随身していた。 兄は義経に従って、都へはいり、弟は、木曾の麾下きか
にいたわけである。 あの弟のこと、降参せよといっても、きくはずはあるまい。必ずや、討死をこころざして、陣頭に立つことだろう。そう、兄の忠家は察していた。 果たして、その通りな弟の姿を、戦場で見つけた。で忠家は、大勢の郎党とともに、弟を組み伏せ、生捕りとして、義経の前へひいて行った。 義経にさとされて、高家もついに、降伏を誓った。それ以来、兄弟ともに義経の麾下きか
にしたがい、今朝の鵯越えにも、真っ先を駆けていたのである。 ちょうど、兄の忠家が、須磨ノ浦のあたりで、三位中将を生捕りしていたころ、弟の四郎高家も、明石の東、大蔵谷とよぶ所で、平家の内でも名だたる大将を討ち取っていた。 |