生田の大将、新中納言知盛は、山手の道を、味方のなだれに押しもまれながら、心ならずも退いていた。 「なんたることか、このざまは」 平家の内でも、
「自分が軍にいるかぎりはお心やすく思し召せ」 と、つねに言っていたほどな彼だけに、自責も強く、 「ふがいない味方」 と、いくたび、あぶみを踏ん張って
「返せ、踏みとどまれ」 と、眉をいからしてののしったこtか知れない。 しかし、すでに和議のうわさに平和を夢見ていた部下である。彼の叱咤
も、みずからの奮闘も、何の効き目も、もたらさなかった。 彼は、その子知章ともあきら
や家臣の数騎とともに取り残されてしまい、源氏武者が、ひっきりなしに射浴びせて来る矢の流れの中にさらされていた。 「追って来る敵の中には一、二ひどく弓勢ゆんぜい
の強い小癪こしゃく な者がおるやに見えます。その者の射る矢が、いちいち、おん身をかすめ、よろいの袖に刺さるものと思われる。
── 殿には、先へお急ぎください。それがし、踏み止まって、防ぎ矢つかまつりますれば」 従臣の一人監物頼賢けんもつよりかた
は、こういって一人踏み止まり、敢然と、敵の矢途に立ちふさがった。そして、頼賢も弓を張った。 彼の矢が追って来る敵の一将を、射落した。つづいて、次の矢も、また駈け寄る敵を、見事に、射止めた。 「しめた」 これで、ひと息つけると見て、頼賢はまたすぐ、主人のあとを慕って駆けた。 やがて、距離を詰めて来た一群の、東国武者は、 「憎いやつ」 と、追撃に拍車はくしゃ
をかけ、 「先へ逃げ走って行く平家人こそ、ただ人とも思われぬ。あれを逃がすな」 と、砂塵さじん
の中に、鞭むち を上げた。 明泉寺の下
── 夢野の辻へ出た。 知盛の肚はら
では、ここまで来れば、味方の教経のりつね
か通盛みちもり の手勢と一つになれようと考えていたものらしい。 ところが、ここの鵯越え口も、はや、破られた後だった。 道には、味方の小旗や、打物、や兵や死馬の屍かばね
が、通れもせぬほど、乱離らんり
だった。 「さては、ここも、一ノ谷も」 いまは、知盛もすべてを知った。ここの高所に立てば、いやでも、味方の総敗軍は、ひと眼であった。 追っかけて来た源氏は、武蔵児玉党の十数騎で、 「やっ、あれに」 と、知盛を指さしあった。そして、人数を分け、道の先へも、駆けまわろうとした。 「ここの防ぎは、わたくしが
──」 突然、こう叫んで、知盛のそばを離れたのは、彼の一子知章ともあきら
だった。 われから、近づく敵の前へ立ちふさがって、 「下臈げろう
っ、推参すいさん 」 と、一騎の敵を斬り伏せ、もいちど、父の姿を振り向いて叫んだ。 「ここは、知章が殿軍しんがり
いたしますれば、父君には、はやく、主上の御船へ」 ── と見て、家臣の頼賢よりかた
も、 「おうっ、お健気けなげ
よ」 と、知章と力をあわせ、敵のかたまりへ、ともに一命をぶつけて行った。 |