〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/12/14 (土) 一 ノ 谷 絵 巻 (五)

生田川は、いわば正面の玄関である。新中納言知盛を総大将に、本三位中将ほんざんみのちゅうじょう重衡しげひら がその副将であったのをみても、いかに平家が、ここの守りを、重視していたかが分かる。
その兵力も、五千余騎、どこより多い。
もう、去年の暮れから、逆茂木さかもぎ を打ち、さく を結い、やぐらを組など、防塁ぼうるい としての構築も終わっていたのだ。
けれど、二月七日の未明には、ただひとつ、大事なものを失っていたのである。それは、一ノ谷や鵯越えとひとしく、 「八日までは、まず休戦」 と、油断しきっていたことだった。
だから蒲冠者かばのかじゃ 範頼のりより の源氏二千余騎が、その前日、西ノ宮から魚崎、御影みかげ の辺りまで来ていると分かっていたが、
「院より停戦の御命もあること。よも、手出しの動きではあるまい」
と軽く見ていたのである。
ところが、七日未明には、いつの間にか敵は接近していた。すべての白旗や旗指物を、あらわにひるがえし、卯ノ刻と同時に、とき の声を合わせて攻撃して来たのである。
この暁の攻勢に、一番乗りを名乗った者は、武蔵の河原兄弟という、無名の郷士だった。
その河原太郎、次郎の兄弟は、
「なんとか、人に優れた手柄をあげたいものだ」
と兄弟してしめ し合わせ、まだ全軍が攻撃に出ないうちに、川を忍び渡り、逆茂木さかもぎ を乗り越えて、敵の中へ、駆け入った。
そして、小高い所から、弓を構え、
私市きさい 党の河原太郎高直、次郎盛直の兄弟なり。生田ノ森の先陣は、こう二人ぞ」
と、第一矢だいいっし を打ち込んだ。
けれど、平家方の者は 「おや?」 と、おかしげに、振り向いたり、小手をかざして、兄弟の影を見ているだけであった。
もう目前に、範頼らの源氏が、攻撃に出たのは分かっていたはずで、なお休戦の眠りにあったわけではない。
しかし、わずか二人で、大軍の中へ飛び込んで来た兄弟の無謀さを、むしろ可憐かれん と見て 「何ほどのことが出来よう、ただ見 いて、愛せよや」 という気持だったらしい。
── ただ、見措いて愛せよや。これいかにも、平家人へいけびと らしい考え方だ。
しかし、兄弟とも、なお躍起やっき に矢を射込むので、捨ててもおけずと、平家の真名辺まなべ 五郎ごろう という強弓の達者が、ただ一矢のもとに、河原太郎の胸を射通した。
弟は、兄の亡骸なきがら を肩にかけて、退きかけたが、真名辺の二の矢は、弟の方も、すぐ、射たおした。
可惜あたら 、こんないいやつも、殺さにゃならぬか」
平家の新中納言は、敵の兄弟の首を見、かえって嘆かわしげにいったという。
そして、これが戦端の口火となり、梶原景時と、その息子たちの五百余騎を始め、東国勢すべて、くつわ を並べて、生田ノ森へ攻めかかった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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