やがてのこと。 総大将の薩摩守
忠度ただのり も、ついに 「──
大事到いた る」 と、知ったものか、陣門を開いて戦うべし、と号令を出した。 院宣使の下向する八日までは、休戦というはずなのに、どうして、源氏の襲撃が、行われたのか。 しかも、こう、計画的な不意打のかたちで来たのか。 「怪しとも怪し・・・・」 と、ただただ、疑うばかりだったが、事実の急に、 「さては、さては休戦とは、院の謀計よ。しやっ、言語道断」 と、さすがの忠度ただのり
も、眼まな じりを上げて怒った。 ところが。 彼が、西木戸の味方を励ましていると、こんどは砦とりで
の後ろで、大混乱が起こった。 そこはまったく無防備な所だった。一ノ谷の裏山にあたり、断崖絶壁だんがいぜっぺき
に囲まれていたので、柵さく も構えもしていなかったからである。 初め、その絶壁の上から、岩石が落されて来、また、鹿しか
や馬なども、追い落とされて来たと思うと、無謀にも、およそ七十騎ばかりの東軍勢が、だ、だ、だ、だっ ── と一せいに、なだれ下りて来たのである。 もちろん。いかに、騎馬に巧みな坂東武者でも、断崖だんがい
の途中で、鞍くら から弾み上げられ、宙をまろんで落ちたのもあり、馬に馬がぶつかって、横だおれのまま、すべり落ちて来た者もある。 そのほか、首尾よく駆け落して来た騎馬でも、駒脚のツナギを折って、のめり潰つぶ
れたのも多かったし、背に人を見ず、空背からせ
のまま、いななき狂うのもたくさんあったが、ともかく、幾十人かの源氏武者が、たとえば、空から落下したように、敵の砦とりで
の真っただ中に立ち、 「わああっ」 と、平家方の胆きも
を奪ったことはすでに争い難い事実であった。 たいした建物はなかったが、彼らの無事な者は、ただちに、そこらの兵糧倉ひょうろうぐらも
や仮屋や幕舎や、また主上のおいでにならない行宮あんぐう
などへ、火を放って、暴れまわった。 |