「や。何者やら、こなたへ駆けて来るぞ。味方の物見か」 直実の注意に、わらわらっと数騎が先へ駆け、すぐ闇の中から
「物見の小者です」 と言う答えが聞こえた。 その物見の告げによると、一ノ谷の木戸は、もう十数町の間近にあり、そして味方の平山武者所の手勢も、志染
、押部、伊川を越えて、はやそこへ近づきつつある、とのことだった。 「おう、またもや、平山に先を越されまいぞ」 熊谷勢は、にわかに、どっと駒足こまあし
を早め出した。 暗い海の香の漂う磯山の谷ふところに、平家の砦とりで
は、まだ眠っているかの如くなんの気ぶりの動きも見えない。 ここを、西の木戸というのは、東の生田口いくたぐち
の守りに対し、播磨路はりまじ
の明石口あかしぐち ともいえる地の里にあったからである。 そこの西方から順に、三ノ谷、一ノ谷とよぶ磯やまの先が屏風畳びょうぶだたみ
に重なっており、浜辺は狭く、往古は、断崖だんがい
の切り岸が海に没しているところなどもあった、東西の交通路は、海岸を通らず、生田から山手を遠くまわり、塩屋しおや
、垂水たるみ へ降りて来たものだった。 真っ先に、熊谷勢が襲よ
せた一ノ谷は、鉄拐てっかい と鉢伏山はちぶせやま
のふところにある小平地で、山すその口に、柵門さくもん
を高く結い固め、天然の嶮けん
を誇っている。 ── いや、天嶮てんけん
を恃たの んで、安心しきっているのだろうか、外より駒を寄せて、 「これは武蔵国の住人、熊谷丹治くまがいのたんじ
次郎直実じろうなおざね 、子息小次郎直家の手勢。この一ノ谷へ一番駆けにて襲よ
せ参ったり。平家にも人やあらん。われと思わん者は撃って出給え」 と、幾たび、大音を揚げて挑いど
んでも、なお、何の答えもなかった。 百騎の小勢では、この柵さく
を打ち破るのもむずかしい。内には、楯囲みした幾段もの陣地が見えるので。いつ一せいの乱射を浴びるかも知れないのだ。名乗りかけ、よい敵を誘おびき
き出し、一騎打ちを遂げんことこそ、熊谷の望みであった。 しかし、敵もさるもの、 「その手に乗るな」 と、構えこんで、熊谷勢のあせりを待ち、機を計って、皆殺しにせんと、考えているのかも知れない。 とうこうつする間に、東雲しののめ
が紅あか らんできた。はや卯う
ノ刻こく も近い。熊谷勢は、また幾たびも、咆哮ほうこう
をくり返し、 「出でよ、敵」 と、決戦を挑みぬいていた。 すると、別な道をとって来た平山武者所の一手もここへ落ち合って、先にもう熊谷勢が襲よ
せているのを見、 「あれ、味方の熊谷が、木戸の正面へ先んじて、今日の軍功をあせりおるぞ。熊谷におくれをとるな」 と、小高い所へ駆け上がり、柵さく
内の平軍へ向かって、一せいに矢を射込んだ。 平家の侍大将には、越中次郎兵衛盛嗣もりつぐ
、上総五郎兵衛忠光、悪七兵衛あくしちびょうえ
景清かげきよ 、後藤内ごとうない
定経さだつね などがいた。それぞれに備えを分けて、 「今に見よ」 と、さっきから鳴りをひそめ、 「ひと泡吹かせん」 と、上将の令を待つ風だった。
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