力が勝
っていたか、巧者の手練か、越中前司はついに、渾身こんしん
の力で、若い小平六を組み伏せてしまった。小平六の必死なあがきも、ただ、磐石ばんじゃく
を感じてしまうだけだった。 せつなに、彼の脳裡のうり
を、死の影と、狡知こうち が掠かす
めた。眼には、自分の喉のど もとへ向いた短刀の切っ先を見、思わず、くわっと、それへ噛か
みつきそうな顔をして叫んだ。 「やあ待て。待ち給え」 「こ、この期ご
に、何を」 「もののふの慣いを知るなら」 「しゃつ、小ざかしい未練ごとをば」 「いや、名乗りもあわず、事終わるのは口惜しい。討つ者とて、たれに首かも知らず、討たるるわれも、敵の名を知らいでは、匹夫の死に様ざま
ともいわれよう。和殿の誉れでもあるまいが」 「おう、ならば聞こう、まず名乗れ」 「ウウム、苦しい、顎あぎと
の手を、もすこし、弛ゆる めてくれい」 「ちっ、たれがそんな騙たばか
りに乗ろうぞ」 「無念や、今日のみは、いかにして、こう組み敷かれしか。とはいえ世の笑い者にはなりとうない。それがしは、武蔵国の住人、猪俣小平六則綱のりつな
。── 武蔵七党の内でも聞こえを取った男なるに、そのわれを組み伏せられし和殿はそも平家のたれか」 「知らずや、越中前司盛俊ぞ」 「ああ、さては、よい侍のはず。音に聞こゆる越中前司どのなりしか。しかし、今朝の一戦にて、平家も敗れ去るは必定。もし、わが命を助けおかるるならば、後日、猪俣党の勲功に代えて、御辺の一族何十人たりとも、鎌倉殿へ御推挙申し上げようが、なんと前司どの、この一命を助けてはくれまいか」 「だまれ、身み
不肖ふしょう なれど、盛俊は、たとえ平家が零落れいらく
した後とて、余生を源氏に頼もうとは考えたこともない。聞くのも耳の穢けが
れ。観念せよ」 「あっ、こ、これは理不尽りふじん
な。── こう降参申しておるのに、むざと、降人こうじん
の首をかく法があろうか」 「神妙に、縄目なわめ
の辱はじ も忍ぶとや」 「負けたのだ、ぜひもない」 「よしっ、ならば、こう、搦から
めてやる」 盛俊は、彼の襟がみを引きずり起こし、そしてその諸腕もろうで
を、後ろへねじまげた。 小平六の神妙さは、もとより本心のものではない。おりふしかなたから飛んで来る一騎の影を見、 「敵か、味方か?」 と心の匕首ひしゅ
を研いでいた。 近づくにつれ、それは、やはり猪俣党の一人と分かった。 しめた、と彼の五体は、うずきを起こすと、その反射で越中前司も 「や、新たな敵が」
と、縄目を急ぎ、思わず、後ろへ眼をくばった。 とたん、小平六は、盛俊の腰の辺りを強く蹴け
とばした。 不意をくった盛俊は、よろよろと身をのけぞらした。くわっと、何か怒罵どば
を吐いたが、声はかすれ、その手が腰の太刀を半ば抜くか抜かない間に、またも二度目の足蹴あしげ
を食って、 「無念っ」 と、下の泥沼へ、仰あお
に、ころがり落ちていた。 同時に、駆けつけて来た一騎は、小平六の家来筋に当る人見ひとみの
四郎という者であったから、泥沼から起ち上がろうとした越中前司も、その二人にのしかかられ、ついに、首を挙げられてしまった。 本来、こういう場合の軍功は、人見のものか、小平六の手柄か、むずかしい問題になりやすいのだが、一方が家来筋なので、後日の苦情になる惧れもない。小平六は、血泥にまみれた首を太刀の先に貫いて、 「平家方の大剛たいごう
と聞こえつる越中前司盛俊をば、武蔵の住人、猪俣小平六則綱のりつな
が討ったるぞや。小平六が討ち取ったりっ」 と、誇らかに名乗った。 後に。 鎌倉殿への披露には、侍大将中の “一の筆” に彼の功名が書かれたのであった。彼の勇名は揚がり、猪俣党は一時栄えた。これを見ても、当時、東国出身の荒武者たちが、さきごろの宇治川といい、また今度の合戦といい、いかに戦いを出世の道と見、千載一遇せんざいいちぐう
の時と逸はや って、功名手柄の争いに、ひたぶるであったかが分かる。 |