ところが、猪俣小平六は、そうはしなかった。 騎馬も徒士
も一団となって、刈藻川上流の、谷は浅いが、道もない傾斜へ、どっと落ちて行ったのだった。と見て、平家勢も人数を分けて、 「みなごろしにせよ、一兵も余すな」 と、なだれ降りた。 下は湿地帯だ、樹林が多く、地形も複雑だった。敵味方の雄叫びは諸方に谺こだま
しているが、動きは、ほとんど分からない。 おりおり、朝の木洩こも
れ陽び をかすめ、流れ矢の羽音が大気を切るだけである。 小平六は、まだ馬を失な
くしていなかった。 いや、駒のみか、 「今日こそは」 と、人いちばいなる功名心も、失ってはいないのだ。 平家の内でも随一の侍といわれる越中前司盛俊に会いながら、むなしく別れ去るような彼でもない。 「何も、先陣ばかり争わなくても、よい手柄は後ろにもある」 と、彼は敵の油断をうかがい、盛俊との一騎打ちの機を狙ねら
っていた。 また、盛俊の方でも、 「いずれ東国でも名のある者が、伏勢を率ひき
いていたに違いあるまい」 と、敵の主将を狩り探していたことはもちろんだった。 ── で、はしなくも、二人は、相互の姿を見つけ合った。しかし盛俊のそばには、徒士かち
の郎党が七人もいたので、小平六はわざと馬を飛ばして逃げ去った。 幾本かの追い矢が、馬の脚や鎧の袖にからんだが、一本も彼の急所には当らなかった。 「やあ、待て卑怯者ひきょうもの
。道に姿を伏せたり、たたき出されてはまたすぐ、敵に背を見せて逃ぐるのが、東国武者と申すものか」 こう、さかんに恥ずかしめばがら、越中前司の駒も、追っかけてくる。 小平六は、振り向いた。 名倉ノ大池のそばだった。近づく敵は、もう越中前司一人と見えた。小平六は、ぐっと、馬をまわして、 「広言はあとにいたせ。足場をこそ選んだるなれ。いで来い」 と、大手を広げて待った。 ──
組まん、という構えである。鹿しか
の角つの さえ裂くといわれた怪力の持主なので、こう組み打ちを挑いど
んだものに違いない。 しかし、越中前司も、若い頃は、何十人力と称された剛力である。駒を寄せ合うやいな 「望むところ」 と組み合った。そして、どうと鞍間くらあい
に落ちたと思うと、一たん、解ほぐ
れ合って立ち直り、また、むんずと、組み闘った。 |