義経は、なお、動かなかった。 あるかぎりな源氏の旗幟
を付近一帯に立たせ、擬兵の計を設けて、刻々を、過ごしていた。 弁慶、佐藤兄弟、伊勢三郎、那須大八郎、伊豆有綱、金子十郎、鎌田正近、片岡経春など、いわゆる義経が子飼いの郎党たちは、気が気ではなかった。 まだ暁闇ぎょうあん
は濃いにしろ、火合図は見えたし、卯う
ノ刻こく もはや近い。 「このうえ、何を待たれるのか」 と、疑っていると、やがてのこと、さきの七十騎について、何か見届けの行った亀井六郎の物見の小隊が、息を切って、引っ返して来た。 「六郎か。明泉寺みょうせんじ
の敵はいかに」 待ちかねていたらしい義経の声に。 「されば」 六郎は、遠くにひざまづき ── 「御明察にたがわず、お味方の七十騎が、近くを駆け抜けるやいな、明泉寺の陣所にて、どっと、敵のどよめきと、驚きの様子が、手に取る如く聞こえました」 「では、知ったな」 「見張りの兵が、すぐ急を告げたのでしょう。敵は寝耳に水の驚きをなし、馬よ、得物よと、あわて騒いだもののようで」 「して、その敵勢は」 「たちまち、先を争って混み出して来た敵は何百騎とも知れず、続々、絶え間もなく続き、さきの七十騎を追っかけて参りました」 「よし、思うつぼ」 義経は初めて、自己の進路に、眉をあげて、 「ここ鵯越えの本道は、夢野ノ里へ一里余り、おおむね、坂は降りなかりぞ。──
明泉寺にある平家は、さきの七十騎のうちに、義経やあると思い惑うて、西へ追っかけ去り、さだめし、後にはあわてにわてふためかん。── われらは、その虚を突き、刈藻川に添うて無二無三、敵の二陣三陣を踏み破りつつ輪田ノ浜まで一気に行くぞ。──
いざ、義経の前を駆けよ。義経におくるるな人びと」 と、無数のらんらんたる眼へ言った。 期せずして、こたえは、 「─── わあっ」 と、一つ武者吼ぼ
えになり、約四百騎、奔流のように、いわゆる鵯越えの本道を、坂落しに駆け競きそ
った。 |