〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/12/03 (火)  くさ おと し (五)

駄五六だごろく が捕まったのは、義経の本軍が、平山の別働隊を見送って、およそ三里ほど、前進して来た所だった。
「その男、わしが調べよう。これへ引いて来い」
義経は、道べの岩に腰をおろし、松明の輪の中に引き据えられた駄五六の姿を見た。
もう、ふるえも止まり、悪びれもしない駄五六だった。
主人の名、陣の位置、そのほか、平軍の内状など、何を いても、つつみ隠そうとはしない。
しょせん、無駄とさと った顔つきであり、欲しいのは、命一ツよいう容子が、その顔に描いてあるほど、正直に出ていた。
「よし」
と義経は、問いを終わって、
「駄五六と申すか。・・・・いや、この男の道しるべなら信じられる。弁慶、弁慶」
「はっ」
「駄五六も案内者あないじゃ の一人として、加えて行けい」
「心得ました」
「ほかの案内者あないじゃ も、みなおるか」
「真っ先にたち、万一のあやま ちもなきように、面々、心して、お道しるべを勤めておりまする」
わし の子もおるか」
「鷲の子とは」
「途中、わし という小村で拾うた、あの小伜こせがれ よ」
「あ、あのわっぱ めでござりまするか。あれは可愛いやつで」
愛嬌者あいきょうもの か」
「いや、むっそり者の、山猿やまざる なれど、身のはし こさ、闇眼やみめ のするどさ、申すことも、山家やまが 言葉そのままで、皆を笑わせておりまする。また、お目見得のせつ、三郎経春と名乗るべしと、わが君よりおん名をいただいたことも、無性にうれしいらしい容子で」
「その鷲ノ尾と、駄五六とを組ませ、ほかの案内者とは、別に歩ませろ。一つにおくな」
と、義経は、注意した。
道案内には、彼も、人知れぬ苦心を払っていたらしい。
彼自身もそうだが、東国武者は、まったく、この地方の地理には不案内であった。そのうえ、山また山を行く暗夜の行軍でもあった。
もし、案内者に、たく む腹があれば、その一指いっし のさす所に、これだけの軍勢が五里霧中をさまよわぬ限りもない。
よしまた、悪企みがないまでも、ふと、道も道に、案内者の視覚が一歩でも誤りなどしたら、取り返しもつかなぬ羽目になる。
そもくせ、丹波路を来る途々みちみち から、
「てまえこそは、丹波、播磨、摂津の山々、猪鹿しししか の通わぬ道でも、知らぬと申す所はおざらぬ」
と、自賛して来る案内者志望は、幾十人か知れぬほどであった
中でも、摂津源氏の多田蔵人行綱などは、先導役志望者中の大物だったといってよい。
義経は、こば まなかった。
けれど、その先導を、うのみに、信じるふうはない。むしろ、行綱の人柄や経歴からも、危険な味方と、見ているようだ。
また、三草山で捕虜とした安田ノ庄の下司げす 、多賀菅六も、道案内に立たせてあるが、これとて、平家の侍、本心のほどは、はかり難い。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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