〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/12/02 (月)  くさ おと し (四)

その日は、五日。
三草から東南一里半ほどの、椅鹿寺はしかじ に宿営し、翌日まで、まったく、鳴りをひそめていた。
馬のいななきにも、兵糧ひょうりょう の炊煙にも、心をくばって、義経は、
「なお、鵯越えまでは六、七里と申すが、敵も物見を出しておろう。またふと、山家の者や旅人の通いもないとは限らぬ。── 敵に覚られては、一期いちご の悔いぞ。道という道、たとえ鹿しかさるかよ とて、油断すな」
と、八方へ、見張りを立てた。
なお要所には、数理の先まで、小隊を派しておき、ここの一脈の山岳地帯と、人里との境を完全に遮断しゃだん した。
さらに。
里近い再度山ふたたびさん などの峰々へも、歩兵を伏せ、その者たちには、生田方面を見まもらせて 「万一、異変いへん が見えたらすぐ知らせること」 と命じおき、また 「範頼どのの味方の勢が、つつがなく、敵へ懸かると見えたら。煙を揚げよ」 と、火合図を、いいつけた。
そうした万端の用意と、休息とに、約一昼夜を、過ごしたうえ、 「いで、行かん」 とかぶと を締め、弓につる をかけ、列の間々に松明を振らせ、義経以下五百余騎が、一筋の流れをなしつつ、鵯越えへ向かったのは、まさに六日の宵だった。
── その椅鹿寺を立つとまもなく、
「さらば、さらば。── あすの戦場で」
と、またも約百五十騎ほどが、本軍を離れ、弓を振り上げ振り上げ、道を曲がって、吉井から明石方面へと、南下していった。
平山武者所ひらやまのむしゃどころ李重すげしえ と、成田家正の二将が、べつな道をとって、一ノ谷の木戸へ潜行したものと、あとでは分かった。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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