〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/12/01 (日)  くさ おと し (三)

義経は、すぐ仮のとばり へ、諸将を呼んで、群議を開き、まず一同へ、こうたずねた。
「やよ人びと、三草みくさ へは西へ二里。夜討がよいか、朝討ちがよいか」
すると、土肥どひの 実平さねひら 、田代冠者信綱など、ほとんどが、異口いく 同音に答えた。
「なんの御猶予」
「人馬も休め申したうえは」
「夜討こそ、しかるべきかと存じまする」
義経は、うなずいて ──
「さらば、すぐ、踏み散らして、押し通ろうぞ」
と、 ち上がった。
黒い気流に似た千余騎が、やみ夜をさぐりながら、山の平原を進んで行った。
途中、安田義定は、義経のそばへ寄って来て、さり気なく、話しかけた。
「最前、夜討か朝討ちかとの、おたずねを出されましたが、九郎の殿御自身には、どうお考えだったのでござるか」
義経は、ちらと、かぶと眉廂まびさし を、振り向けた。
そして、義定の顔を、じっと見た。
この義定もまた、梶原景時と同じ資格で、兄の頼朝が、軍目付に付けて寄こした人物である。
「いや、もとより九郎も、初めから、夜討の所存ではあった。けれど、一義も二義も、衆議に出して、皆に、味わわせることが、いくさ の古法と申すもの」
「・・・・げにも」
と、義定は、ひざを打った。
そしてひそかに、「器量きりょう ある大将かな」 と感じ、 「へたな口出しは出来ぬ」 とも思った。
三草山の西に陣していた平家の一軍は、この予測もせぬ敵の出現を見て、まったく、混乱に落ち、もろくも、源氏の馬蹄ばてい蹴散けち らされた。
資盛、有盛以下、さんざんな姿を持て、河東郡の山づたいに、西へ西へと逃げ落ち、播磨はりま の高砂から、船に乗って、
「味方に会うも面目なし」
と、屋島へ渡ってしまったとある。
ふぁが、いかに若い資盛、有盛、師盛などの公達勢にしろ、ただ 「面目ない」 とばかりで、福原の味方へも合流せず、屋島へ帰ってしまうはずはない。
おそらく、一ノ谷か生田方面へ退いて、そこの味方と合流しようとしたには違いなかった。しかし、そうさせては、義経として、せっかくの奇襲が、未然に敵方に知られてしまう。
で、彼は、矢つぎ早に、下知した。
「敵の一人たりとも、鵯越え道へ、追い逃がすまいぞ。三草と久米の追分を断って、播磨の方へと追っ払え」
そして、その方面の道をふさ がれた平軍が、ぜひなく、播磨路の山を、なだれ打って潰走かいそう し出したのを見て、義経はすぐ、
「あの逃げ足に、息をつかすな」
と、土肥実平、田代信綱の二将に、兵力の半ばを いて与え、
「かねて申し合わせた日と時刻は、存じおらん。和殿らは、かの中将殿や小松殿の兵をあくまで追いながら、明石の磯辺より一ノ谷の西木戸へ討って出でよ。ゆめ、途中の功にかかずろうて、大事な刻限を誤るまいぞ」
と、厳命した。
二人は、かしこまって、
「さらば、お別れ申して、七日のあかつき には、ふたたび、敵の中にてお姿を拝しましょうず」
と、新たに組んだ一隊を引き連れ、そのまま、西へ向かって進軍をつづけて行った。
── いつか天地は朝となっている。
敵の首級百八十人をかぞえ、
「さい先よし」
あとに残った本軍も、ふる い立った。そして、
「いよいよ、平家の本陣地福原に、ほど近いぞ」
ト言い交わしつつ、将士の眼には、もう、おたがい底光りが、ぎらぎらしていた。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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