〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/12/01 (日)  くさ おと し (二)

しかし、この間にも、休みのない活動をし始める小隊もあった。
亀井六郎、片岡為春などをかしら とする物見組であり、彼らは、腰兵糧こしひょうろう をつけて、すぐ西方二里ほど先の三草山みくさやま の谷や高地へ探りに入った。
ここに、半夜の露営を結んでいると、土地ところ の郷士たちが、 「お味方に」 と集まって来た。古来、源氏に縁のない土地ではない。 「それがし事は」 とか 「わが家は」 とか、それぞれ、古い由縁ゆかり を述べ立てるが、義経は、
「好んで死にたいという者はあるまい」
と、おおむね、笑い顔でうけ、
荷駄にだ を引いて、軍のしりえ について参れ」
と、許すのみで、先鋒せんぽう や道の案内には、用いなかった。
具足も解かぬ草枕の一睡は、つかの間の心地だった。
やがて、物見組も、前後して、立ち帰り、
三草みくさ には、中将資盛どの、小松有盛どの、その他の公達ばらを主将に、およそ兵二千ほどが、さく を守り固めておるやに見られまする」
という者。
また、中には、もっと詳しい報告もあった。
「敵は怠っておりまする。もしや、偽計をかまえて、見せかけの、わざとな油断ではないかと思い、柵内へ忍び入ってみましたところ、大将の陣幕とばり の内より、こう の煙が流れ、悲しげな管絃かんげん も聞かれました。察するに、こよい二月四日は、故入道清盛どのの御忌ぎょき なれば、その法会ほうえ など、いとな みおるやにうかがわれまする」
「・・・・・まことに、今宵は四日」
義経は、ふと、まぶた をふさいだ。
敵のこととも思われぬいた みを、覚えずにはいられない。
それに。
院の秘策として、都からは、四日は故入道の遠忌おんき ゆえ、源氏も合戦には出まいという風説を、故意に流している。
要するに、だまし討ちだ。
義経の寝醒ねざ めの面に、どこか えない色が見えたのは、そのせいであろう。何事につけ、ひとの身になって物を思う彼の性情が、ふと、破竹の意気を、つまずかせたものらしい。
だが、そんな仮借かしゃく や同情は許されなかった。
院の秘策は、
(七日のこく <明け方、六時> をもって、一せいに、福原へ攻め入る時刻となせ)
と、伝えて来ている。
生田へ向かった主力軍の範頼のりより も、もとよりその内示に従って、生田ノ木戸へ、総がか りを起こすであろう。
もし、手はずを狂わせたら、搦手からめて の自軍も死地におちい るばかりでなく、全源氏の敗れをきたすことはいうまでもない。── 義経もまた、万難を排して、その日、その時刻に、鵯越えから、敵の真上へ、奇襲の功を、示さなければならないのである。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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