小宰相は、もと、上西門院
に仕えていた小女房であった。 そのころ、 「禁中一の美人は?」 といえば、たれもがすぐ 「小宰相」 と、言った。 小宰相が十六の春、そもころまだ中宮亮ちゅうぐうのすけ
だった通盛は、法勝寺の花見の御幸で、彼女を見染め、恋文や恋歌を寄せた。しかしそれを解くには、彼女はまだすこし稚おさな
すぎていた。 それから三年たった。 あるおり、上西門院が、ふと、彼女の落とした文をお拾いになって、恋歌の主が、通盛であったことを知られ、女院の口ききから、やっと三年ごしで、その恋は実を結んだ。 それほどな妻でありまた仲なので、通盛は、都落ちの際も、西海へ連れて奔はし
り、一門とともに、惨風悲雨の漂いの中でも、人もうらやむほどな夫婦ふたり
だったが、その間に、小宰相は妊娠していた。 「せめて、生まれる子は見たいと思うていたが、こんどの戦場は、名だたる東国武者が相手。勝つも敗るるも、身の一命は保し難い。もしものことがあっても、そなたは、ゆめ、短気を抱くな、妊娠みごも
れるものを、通盛と思うて、身を大切に生み落とし、いずれの里にか隠れて、その子を守り育ててくれよ」 先ごろ、屋島を立つとき、通盛は、こう言い残した。 けれど、小宰相は、良人の言葉が、気がかりになって、
「せめて、もう一度のおん名残を ── 」 と、屋島から良人のあとを慕って、そっと会いに来たのであった。 ところが。 さっき佐比さび
ノ入江を上がる姿を、教経の部下が見て、これを奥平野の陣地へ告げた。 教経は、聞くと、なんともいえぬいやな顔をした。 雅みやび
な風のある通盛とちがい、教経は、一門切っての猛将である。 わけて、今暁こんぎょう
の使いの件が、どう早合点されたものか、決定的な平和でも来たように、諸陣地にいいはやされているらしい様子を聞き、 「こは、容易ならぬこと」 と、心を痛めていたおりでもあった。 「兄君からして、陣中へ、妻を召し呼ばれるようなことでは」 と、思い余って、自身、明泉寺まで来てみたところ、士卒の端までが、もう平和気分で、偸ぬす
み酒を酌く むもあり、日長話ひながばなし
に笑い興じているといった有様なので、 「まだ、まことの院宣とも、和議とも知れぬものを、はや囈言たわごと
申して、陣地も忘れおる兵どもを、しかりつけい。── 兄君の御陣所なりとて、仮借かしゃく
すな。教経が承知ぞ。怒鳴りつけろ」 教経の下知に、扈從こじゅう
の武者が、寺中の諸所を、怒鳴り歩いたものだった。 その間に、教経は、 「── 今や、平家が浮くか沈むかの時ではありませぬか。おん大将たるあなたからして、この御行状は何事ですぞ」 と、兄の三位通盛に会い、泣いて、その女々めめ
しさを、諫いさ めていた。 通盛は、弟が来たと聞いたので、あわてて小宰相を、次ぎの部屋へ隠していた。しかし、
「隠さなければよかった」 と彼は悔いた。 「さは怒るな。能登どの」 ── と、彼は静かに、わけを話した。 「・・・・呼んだのは、わしではない。女ごころの浅慮あさはか
さ、あわれさ、小宰相の方から、もう一目と、屋島から慕うて来たものぞ。・・・・けれど、人の聞こえもいかがあらんと、わしみずからも長居は無用と、いまいい聞かせていたおりであった。もう小宰相は、立ち帰るであろう。悪あ
しゅう思うな、弟」 ── 次ぎの部屋で、それを聞いていた小宰相は、いちどは教経を恨んでわっと泣き伏した。── しかし、ここが戦陣であることを思い直しまた、うわさのように、和議が成ればと、それ一つを楽しみに、泣く泣く、乳人めのと
の老女に輿を呼ばせ、そっと、元の女輿に身を隠して帰って行った。 |