越前三位通盛
の下には、歴戦の将士が多かった。 かつては、越中の倶梨伽羅くりから
や加賀の篠原しのはら で、木曾の大軍と戦い、多くの苦い経験もなめている。 その後、屋島を根じろに、四国山陽の異分子を風靡ふうび
し、特にその水軍は強かった。 水軍の方は、もっぱら、通盛の弟、能登守のとのかみ
教経のりつね の指揮下にあったが、二人とも教盛のりもり
が自慢の息子なので 「いずれ劣らぬ門脇殿かどわきどの
の兄弟 ── 」 といわれ、平軍中の花とたとえられていた。 こんども、通盛と教経とは、鵯越ひよどりご
え口の主将であった。大手に次ぐ搦手からめて
の重要な陣地が、この二人にゆだねられたのでも、門脇殿かどわきどの
の羽振りが分かるし、またその兄弟軍こそ、平軍の精鋭と見られていたことがわかる。 しかも、三位通盛は、前日、布陣のさい、副将の越中前司盛俊や若狭守経俊らを、後方において、自ら進んで鵯越えのすぐ真下ともいえる、この明泉寺を、陣所としていた。 しかし、ここも例外でなく、今朝からの和平情報にわいて、武将の幕とばり
も、雑兵組の屯たむろ も、戦陣というよりは、遊山ゆざん
の群集みたいに、浮き浮きしていた。 「よう、駄五六だごろく
。たれを探しているのじゃい」 「や、俵太ひょうた
か、われを尋ねていたのだわい」 「ほう、おれに、なんの用ぞよ」 「何の用でもないが、ほれ、たった今、奥の御堂みどう
の橋廊下の下を通って隠れた女輿があったであろうが」 「ウム、女輿か」 「その道案内をして、これへ来たが、帰りも供をせよといわれ、しょうこともなく、ぶらついているのじゃ。われやあ、その後も、変りはないか」 「変わりがあって堪ろうか。もう二日も過ぎれば、合戦は休や
み、自然、おれどもも都へ帰れるというものだ。まあ駄五六、こっちへ来い。囲いの蔭へ来て一杯飲め」 「なんじゃ酒もりか」 「こっそり、前祝というわけだ。奥の御堂の大将がたも、今日は、すっかりお寛くつろ
ぎらしいのでな」 「道理で、それで里から女が呼ばれて来たわけか」 「何さ、あの女輿のお方は、遊女あそびめ
なんどのような、そんな賎いや
しい者じゃあねえ」 「では、だれだい?」 「知らねえのか」 「うん、何も知るもんではねえ」 「お供して来ながら、暢気のんき
な奴だ。あのお方はな」 と、俵太は、急に声を低めた。 「おん大将の北ノ方だよ」 「えっ、三位さまの奥方か」 「小宰相こざいしょう
さまと仰せられ、三月みつき か四月よつき
か、なんでも、おん妊娠みごもり
ということだが」 「ヘエ、御懐妊ごかいにん
のお体で、よくもまあ」 「きっと、今度の御合戦が、もしや今生のお別れにでもなってはと、名残が尽きず、御一門の眼を忍んで、そっと、屋島からお慕いして来たというようなわけじゃあるまいか」 「もし、そうだとしたら、和議と分かって、どんなに、お二人して、歓よろこ
び合っていることだろうな。・・・・ああ他人事ひとごと
ではねえ」 「駄五六、何を考え出したのだ。もすこし、飲まねえか」 「じつあ、去年、都を落ちて来る前に、おらが嬶かかあ
も、大きなお腹なか をしていたが、無事に、産んだかどうか。どんな餓鬼が生まれたやらと」 「アハハハ、ワハハハ、何をふさぎ込むのかと思ったら、てめえの嬶を、のろけていやがる。小宰相さまのようなお美しさでもあめえに」 「何さ。おれにとっては、小宰相さまより、建礼門院さまより、もっともっと、よい女房だぞい。その女房が、おらに別れ、どうして食っているやら、産んだ子を、育てているかなどと思うと」 「よせやい、せっかくの酒が、水っぽくならあ。何も、可愛い女房を残して来たのは、駄五六、おめえだけじゃねえぜ」 「ほんとに、こいつァ悪かった。年のせいと、勘弁しなされ。その代わりに、おらが酌をしようで」 壺つぼ
の口を取り上げて、駄五六が、そこらの者に、酒を酌つ
いでいた時だった。 突然、そこの板囲いが、外から蹴倒けたお
された。そしてまた、すぐ側の薄汚れた幕も引き剥め
くられ、同時に、すさまじい大喝だいかつ
が、 「なんのざまだっ、この戦場へ来て、酒など、食らいおるとは」 と、あたりの者の耳を打った。 雑兵たちは 「あっ」 と、こけ転まろ
び、そして口々に 「能登守さま!」 と、恐れ顫おのの
いた。 そこの囲いを蹴倒したのは、扈從こじゅう
の者だが、やや離れた所に、苦々にがにが
しい色を面に沈め、じっと、辺りを見ていた人こそ、三位通盛の実弟、能登守教経に違いなかった。 扈從の武者は、なお、こう怒鳴って、睨ね
めまわした。 「いったい、たれの許しで、酒などくらっていたか。なんじらには、しかと申し聞かせる儀があるゆえ、一匹もここを動いてはならんぞ。こらっ、逃げてはならんと申すに」 そう言われると、なお逃げ腰になり、すきを見て逃げ出す雑兵たちに交じって、駄五六も、横っ飛びに、身を隠した。でもなお不安なのか、奥の御堂の床下へはいこみ、じっと、小さくなっていた。
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