〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/11/25 (月)  ろく あん (一)

まだ海上も潮暗しおくら がりのほのかな夜明け前。
輪田ノ沖に眠っていた水軍の本営では、にわかな色めきが動いていた。内大臣おおい殿との の乗っている総帥そうすい 船へ、ほかの大船から一門の大将たちが、
「そも、何事の召しぞ」
と、小舟小舟で ぎ集まって行くのだった。
ちと、寝不足気味な気色だが、しかし緊張した態で、内府宗盛は、その将座から、主なる顔が揃うのを待っていた。
── といっても、一門の壮者や公達のほとんどはみな陸上にあるので、平大納言時忠、参議経盛、門脇中将教盛、ほか七、八名の老将といったようなところでしかない。
「今しがた、生田いくたさく知盛とももり より、つた えがあって、院のみ使いと称する者が、かくの如き書状をたずさえ、御披見ごひけん を仰ぎたいと申して来たそうだが」
やおら、宗盛は言い出しながら、それを、人びとの前へ示して、
「・・・・どう答えてやったものか、時も時ゆえ、ひとしを大事と存ずれば」
と、自分でも、大いに迷っているらしい口ぶりで、他を見まわした。
黙然と、次から次ぎの者へ、書状が手渡されていた。しかしたれも口をひらこうとしなかった。そのまま複雑な表情をまもり、うかつな判断は、神ならぬ身にはと、おそ れるような沈黙だった。
「さて、どうしたものかのう」
と、宗盛は何か、のしかかっている重みに耐えないような息でつぶやく。
書状は、彼に宛てたもので、修理大夫親信の筆にまちがいはない。

“じつは院の内々なお旨をうけ、急に下向の につきましたが、すでに、御軍勢を結んで、十重とえ 二十重はたえ のきびしいお構えとは、途上のうわさにも高いので、親しく拝顔もなり難からんと、以下、書中いたす次第ですが”
という、断りから文面を起こして、
“後白河の法皇きみ には、さきに木曾の暴状と流血を輦下れんか に、見られたうえ、今また、平家と源氏とが大戦に及ばんとするに当り、なんとか、非業を め、和解の道はなきやと、ここのところのおん悩みは、ひとかたではありません。
その叡慮えいりょ をもって、まず源氏勢に対し、無下むげ に兵馬を進めるなかれと、かたくお沙汰を降されました。
しかし、かかる平和の願いも、平家御一門の御同意なくば、無意味です。そちらの真の御腹中はいかが。それをおもらし給わりたく、み使いとして下向した次第です。
もし、平価方にも、和睦わぼく のお心があるならば、早々に立ち帰って、奏聞に及び、ただちに正式の院宣あるものと思われます。おそくとも八日中には院宣使が、あらためて、くだ ることになりましょう。
従って、八日の院宣の前に、東国武者が兵馬を動かすような儀は、万々差し止めおかるることは申すまでもありません。ひたすら、御賢慮ごけんりょ のうえ、御内意をくだし給わんことを”
という意味のものだった。
和を望まない者はない。
ここにも、好んで戦っている者など、たれ一人も、いなかった。
都といい、福原といい、以前に変わる焦土でしかないが、一日も早く旧地へ還り、波枕ならぬ平和の土に眠ってみたい。それは、悲願といえるくらい、一門すべての切実な希望なのだ。
内大臣おおいの殿との
「お、大理 (時忠) どの。何か、よいお考えが」
「いや、いや、考えるまでのことはない、なにをお迷いなされるか」
「そうであろうか?」
「和の院宣とあらば、かしこ んでおお受けのほかはありますまい」
「したが、和睦わぼく の沙汰は、去年こぞ の暮れにも、幾たびかあった」
「あれは木曾からです。院のおん名ではなかった」
「けれど、院のおはら とみてもよいかと思う。何せい、平家の内に、三種の神器があるゆえに、院はそれを、なんとか、あざむ き取りたいのだ、とわしは思うが」
「おそらく、そのお考えはあたっておりましょうが、さればとて、和を拒む理由にはなりません。もし余りにも御無体な条件の押しつけ事であったら、その時、お分かれすべきです。和といい、院宣とある以上は」
そこまで、時忠に言ってもらうと、宗盛はすっかり顧慮がほどけたように、 「そうよの、ウむ、もっとも」 と、幾たびも打ちうなずき、
「大理どのの申すこと、至極と思う。おのおのにも異存あるまいか」
と、言った。
あろうはずはない、みな同意見だった。
そこで宗盛は、ただちに 「わらにも平和の用意はある」 の旨を、生田ノ木戸で待っている使者親信へ答えさせ、自身は、さっそくに、二位ノ尼のいるお座船へ小舟をやった。
著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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