まだ海上も潮暗
がりのほのかな夜明け前。 輪田ノ沖に眠っていた水軍の本営では、にわかな色めきが動いていた。内大臣おおい
ノ殿との の乗っている総帥そうすい
船へ、ほかの大船から一門の大将たちが、 「そも、何事の召しぞ」 と、小舟小舟で漕こ
ぎ集まって行くのだった。 ちと、寝不足気味な気色だが、しかし緊張した態で、内府宗盛は、その将座から、主なる顔が揃うのを待っていた。 ── といっても、一門の壮者や公達のほとんどはみな陸上にあるので、平大納言時忠、参議経盛、門脇中将教盛、ほか七、八名の老将といったようなところでしかない。 「今しがた、生田いくた
の柵さく の知盛とももり
より、伝つた えがあって、院のみ使いと称する者が、かくの如き書状をたずさえ、御披見ごひけん
を仰ぎたいと申して来たそうだが」 やおら、宗盛は言い出しながら、それを、人びとの前へ示して、 「・・・・どう答えてやったものか、時も時ゆえ、ひとしを大事と存ずれば」 と、自分でも、大いに迷っているらしい口ぶりで、他を見まわした。 黙然と、次から次ぎの者へ、書状が手渡されていた。しかしたれも口をひらこうとしなかった。そのまま複雑な表情をまもり、うかつな判断は、神ならぬ身にはと、惧おそ
れるような沈黙だった。 「さて、どうしたものかのう」 と、宗盛は何か、のしかかっている重みに耐えないような息でつぶやく。 書状は、彼に宛てたもので、修理大夫親信の筆にまちがいはない。 |
“じつは院の内々なお旨をうけ、急に下向の途と
につきましたが、すでに、御軍勢を結んで、十重とえ
二十重はたえ のきびしいお構えとは、途上のうわさにも高いので、親しく拝顔もなり難からんと、以下、書中いたす次第ですが” |
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という、断りから文面を起こして、 |
“後白河の法皇きみ
には、さきに木曾の暴状と流血を輦下れんか
に、見られたうえ、今また、平家と源氏とが大戦に及ばんとするに当り、なんとか、非業を熄や
め、和解の道はなきやと、ここのところのおん悩みは、ひとかたではありません。 その叡慮えいりょ
をもって、まず源氏勢に対し、無下むげ
に兵馬を進めるなかれと、かたくお沙汰を降されました。 しかし、かかる平和の願いも、平家御一門の御同意なくば、無意味です。そちらの真の御腹中はいかが。それをおもらし給わりたく、み使いとして下向した次第です。 もし、平価方にも、和睦わぼく
のお心があるならば、早々に立ち帰って、奏聞に及び、ただちに正式の院宣あるものと思われます。おそくとも八日中には院宣使が、あらためて、降くだ
ることになりましょう。 従って、八日の院宣の前に、東国武者が兵馬を動かすような儀は、万々差し止めおかるることは申すまでもありません。ひたすら、御賢慮ごけんりょ
のうえ、御内意をくだし給わんことを” |
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という意味のものだった。 和を望まない者はない。 ここにも、好んで戦っている者など、たれ一人も、いなかった。 都といい、福原といい、以前に変わる焦土でしかないが、一日も早く旧地へ還り、波枕ならぬ平和の土に眠ってみたい。それは、悲願といえるくらい、一門すべての切実な希望なのだ。 「内大臣おおいの
ノ殿との 」 「お、大理
(時忠) どの。何か、よいお考えが」 「いや、いや、考えるまでのことはない、なにをお迷いなされるか」 「そうであろうか?」 「和の院宣とあらば、畏かしこ
んでおお受けのほかはありますまい」 「したが、和睦わぼく
の沙汰は、去年こぞ の暮れにも、幾たびかあった」 「あれは木曾からです。院のおん名ではなかった」 「けれど、院のお肚はら
とみてもよいかと思う。何せい、平家の内に、三種の神器があるゆえに、院はそれを、なんとか、欺あざむ
き取りたいのだ、とわしは思うが」 「おそらく、そのお考えはあたっておりましょうが、さればとて、和を拒む理由にはなりません。もし余りにも御無体な条件の押しつけ事であったら、その時、お分かれすべきです。和といい、院宣とある以上は」 そこまで、時忠に言ってもらうと、宗盛はすっかり顧慮がほどけたように、
「そうよの、ウむ、もっとも」 と、幾たびも打ちうなずき、 「大理どのの申すこと、至極と思う。おのおのにも異存あるまいか」 と、言った。 あろうはずはない、みな同意見だった。 そこで宗盛は、ただちに
「わらにも平和の用意はある」 の旨を、生田ノ木戸で待っている使者親信へ答えさせ、自身は、さっそくに、二位ノ尼のいるお座船へ小舟をやった。 |