〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part U-[』 〜 〜
── 新 ・ 平 家 物 語 (十一) ──
ひ よ ど り 越 え の 巻

2013/11/25 (月) 平 和 の 使 い (三)

うなごノ岡 (現・会下山えげやま ) の上に、経俊の手勢は残って、その夜の陣の夢を結んだ。
岡の西側に、樹林に埋った古い伽藍がらん がある。経俊はそこを陣屋とし、仮寝の手枕も御堂のうちで、ほんのつかのま、まどろんだ。
── 弟の敦盛を思う、長兄の経正を思う。
また、老父の今日の顔など・・・・なかなか、深く眠れず、夢ともつかぬ幻想に、おりおり、眼がさめた。
「おん大将」
たれか呼ぶ。廻廊にいる兵らしい。
がばと起きて、
「なんだ、何事か」
「生田川の御陣場 ── 小野坂の木戸の辺にて、何やら、にわかに時ならぬ人の動きが望まれます。そしてただ今、五、六騎のお味方が、あわただしゅう、輪田ノ浜へ向かって駆け去りましたが」
「はての、今ごろ」
経俊は、すぐそこを出て、岡の上に立ち、じっと、ひとみ をこらした。
東の空が明けかけている。生田ノ森、生田の流れ、味方の主力陣地は、ちょうどその曙色あけぼのいろ の下にある。
「あれ、御覧ごろう じませ、小野坂のこなた、西国街道のちょうど辻にあたる辺りを」
夜通し、ここを見張っていた兵たちは、口々に言って、そのささやかなる異変も見逃がさぬ眼で、こう指さした。
「たれか、見てまいれ。馬を飛ばして行って来い」
数名の武者が、岡を駆け下り、そして、またたくまに、返って来た。
息をきりつつ、その者たちは、こう復命した。
「異変と見えましたのは、供人ともびと 大勢をひきつれて、都よりくだ られたと申す、院の御使みつか いの由にござりまする」
「なに、院のみ使いだと」
「み使いは、修理大夫しゅりのたいふ 親信卿ちかもりきょう とか」
「・・・・ せぬことよ」
と、眸を、その方角へやったまま、
「なおなんぞ、詳しくは?」
「確かめてとも考えましたが、木戸の兵は、知らぬと申しますし、ここへのお答えも心せかれましたため、ひとまず立ち帰ってまいりましたので」
「さらば、わしが行こう。馬を」
、寺の方へ呼びたて、自身も大股おおまた に寄って行き、岡をくだって、里道さとみち へ出るやいな、むち を当てた。
なるほど、小野坂の木戸には、公卿の舎人とねり が、十数人も見え、馬に飼料を与えたり、彼らも朝飯をかかえて、騒いでいた。
「知盛どのは、どこへ」
と、一人の侍大将に くと、その部将は 「ただ今、陣幕とばり の内にて、院宣の御使いと、御対面中です」 との答えだった。
しばらく、床几しょうぎ を借りて待っていると、その知盛はやがて、使者を、陣幕のおき残して、
「おお、若狭どのか、どうして、かく早く知られしか」
と、歩み寄って来た。
それには、答えもせず、経俊は、声をしぼって、知盛の面を凝視した。
「院のみ使いと、うけたまわ るが、そも、なんの院宣ですか」
「まだ院宣というのではないが、平和のお旨らしい」
「えっ、和議の」
「今日に至って、にわかなみ使い、 に落ちぬ心地もするが、疑いようもなく、近臣の親信卿をさしつか わされ、たしかに内々の御諚ごじょう にはちがいない。・・・・で、捨て置けぬことなれば、輪田ノ海なる内大臣おおい殿との の御船へ、ただ今、馬を飛ばして、お らせしたばかりだが」
── こう語る知盛すらも、まだ、半信半疑な面持ちに見える。

著:吉川 英治  発行所:株式会社講談社 ヨリ
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